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ゴーヤーのある朝の食卓
「夏になると毎日庭先のゴーヤー(軒の日よけに植えていたらしい)をばあちゃんがとってきて、朝から食べさせられたわ。」
鹿児島出身の友人の話だ。
苦いので手をつけないと
「こんな栄養のあるもん食べないなんていかん。」
といわれたそうだ。
その料理もさまざまで豚肉と炒めたり、カツオぶしと料理してあったり、酢で和えてあったりと毎食姿をかえて登場していたらしい。
「いやあ、どんなにしても苦いわ。」
と愛嬌のある顔をクシャとさせながら、ウヘッと笑った彼女を見ていたら、なぜかうらやましくて、朝食にゴーヤーを食べたくなった。
私は関東の出身でこの食材を知らずに育った。
数日後の朝、ゴーヤーチャンプルを作った。
「おはよ、あなたあ起きて。毎晩遅いんだから、お仕事がんばり過ぎよ。仕事よりも一緒にいてね。」
と言ったかどうか忘れたが、とにかく夫をたたき起こした。
眠そうな夫が食卓に着く。
「おっと、ゴーヤーですか。朝から暑さを払ってがんばろうというわけですね。」
料理を見て、テンションがいつになく上がったのを私は見のがさなかった。 こどもたちが料理に集まった。
「あっ、これ、昨日もらったゴーヤーだね。」
「夏に暑いところでできる食べ物でね、食べると苦いけれど暑さをふきとばして元気にしてくれるのよ。」
「ちょっとだけ食べてみる。小さいのが食べれたア。今日は幼稚園でも暑くないよ。」
爽やかに朝食をすませて、家族はそれぞれ出かけていった。
ゴーヤーは我が家に健康とあたたかな家族団らんのひとときを運んできた。トイレやテレビ番組の優先権が妻にあるにしても、夫を暑さから守ろうとする妻の愛情を彼はこのひと品に見い出したのだ。
それで夫のテンションは上がった。
ピーマンも苦くて食べない子ども達が食べることができた。自然な食育ではないか。
友人の話を聞いてうらやましくなった理由がわかった。
彼女の人なつこい笑顔は家族の愛情に育まれたものだ。
ゴーヤーがそれを教えてくれた。
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