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ゴーヤーもっと知りたい
 
  中華鍋からの考察

イラスト先に紹介した沖縄のゴーヤー料理「ゴーヤーチャンプルー」は、肉類が一緒に使われているという点だけでなく、「強火で炒めあげる」という調理法についても、他の九州での「茹でる」「炒め煮にする」などと一線を画するところです。

そもそもゴーヤーチャンプルーがいつ頃から食べられはじめたのか明らかではありませんのでチャンプルーの歴史からゴーヤーの伝来を探るのには少々無理が生じます。
少し視点を変えて、それでは明の時代、果たしてゴーヤーはどのように調理されていたのでしょうか。

『本草綱目』で「南方地方では青皮を肉および鹽醤と煮て蔬にする」と書かれた内容をそのまま読むとゴーヤーの果実は肉と一緒に「煮て」食べられていたようです。
チャンプルーのように「炒めて」ゴーヤーを食べることはなかったのか、明時代の「炒め」について少し掘り下げてみましょう。

元王朝のモンゴル勢力を倒した明は、料理の観点からみると、実は元王朝の踏襲に過ぎない、変化に乏しい時代であったようです。西アジア、果てはヨーロッパにまで勢力を拡張した元王朝は、国民の生活風習に新しい風をどんどんと吹き込みました。「回回食品」や「女直食品」など異国風の料理を紹介する記述もあらわれ、台所にも変化をもたらしました。

しかし、当時はまだ「炒め」ものは一般的な調理法ではありませんでした。 元の時代の調理書『居家必用事類全集』に「炒め」という言葉は数カ所見られますが、現在と同じ料理なのはわずか1、2例。その元の時代の踏襲と思われる明朝でも、おそらく炒め料理は一般家庭にあまり馴染みのないものだったのでしょう。
炒める、揚げるといった調理には、土器や瓦器では都合が悪く、やはり鉄鍋を用いる必要があります。

古代シナではちょうど後漢・三国時代に鉄の生産量が急増し、当時、兵器の需要が多かったことを考慮しても、家庭に鉄鍋が入ってくる余地はあったのではないか、つまり唐代ごろには鉄鍋は家庭料理器具として存在していたという説もあり、なぜ炒め料理が一般化していなかったか疑問が残ります。

明代後期になると、炒め料理、揚げ料理が数を増し、農民の油の摂取量は、戦後の一般日本人の3倍程度であったといわれています。ゴーヤーを肉とともに「煮て」いた明代初期の人々も、時代が下がるにつれて炒めたり揚げたりと、その調理法を広げていったのでしょう。

ゴーヤーチャンプルーが明から伝えられたとするならば、おそらく明代後期、17世紀の出来事ではないでしょうか。


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