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ゴーヤーもっと知りたい
 
  ゴーヤーの伝来:まとめ

cut_2-12.jpg日本には、貝原益軒の『大和本草』(1709年)、寺島良安の『和漢三才図曾』(1713年)、小野蘭山の『本草綱目啓蒙』(1803年)などに「錦茘枝」「苦瓜」の名でゴーヤーについての記事がみられます。
そして琉球では1713年に編纂された『琉球国由来記』に「苦瓜」のことがハッキリと記載されています。

すなわちこういった書物はゴーヤーの存在、つまりは伝来の確証を決定的にするものですが、今まで述べてきた点から、ゴーヤーがいかように大陸から渡ってきたのかを考えてみたいと思います。

1. 明と琉球の間には大変に濃い関係があったこと
2. 琉球には中国国内でゴーヤー栽培が盛んであったであろう福建省の人々が多く移住していたこと
3. ゴーヤーの呼び方が日本のそれとは大変に異なっていること
4. 沖縄のゴーヤー料理も日本のものとは質を異にしていること

などから、ゴーヤーは15世紀初めに民間人によって、明から琉球に伝えられたのではないか、そして日本へは薩摩藩を通して上陸したのではないでしょうか。

しかし日本への上陸ルートにはやや疑問を残しています。 それは日本での「苦瓜」「錦茘枝」といったゴーヤーの表記が全く中国と同じであり、用法が薬用中心であることです。

このことは琉球を介さず明からストレートに伝えられた可能性を表すのか、もしくは琉球で福建人と琉球人の民間レベルのゴーヤー交流が根付いて何らかの形で、上層階級に「文字」を伴って伝えられ、それが薩摩へと上陸したのか。

呼び名といい料理法といい琉球の「ゴーヤー文化」が本土を席巻しなかったのは、琉日間の「ゴーヤー交流」が民間レベルではなかったことは明らかと言えそうです。


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