1)大好きな島
 
 

「もうすこし、この旅、つづけてみませんか」

コーヒーをすすりながら編集者のF君が言った。
トカラ列島の旅をまとめて出版した直後のことだった。

「ええ、どういうことなのかなあ?」

離島への旅の記録をシリーズ化したいということなのだろうと、うすうす気づいてはいたがたずねてみた。

「鹿児島には離島がたくさんあります。でも、そこでのほんとうの暮らしを知っているひとは、鹿児島でもわずかしかいません。清水さんに見てきてもらって、伝えてほしいんです。それをシリーズにしたい」

ぼくは彼のことばに、なんとなく熱っぽいものを感じた。
F君は、勤め先の印刷部門で長く離島を担当し、月のうち何度も鹿児島と島々のあいだを行き来していた。島のひとたちとも親しく接し、かなりの思い入れをもっていることは前から耳にしていた。

「離島を紹介する本や関連する本は、山ほど出てるじゃないか」

ぼくはすこしばかり議論がしたくて、冷めたことばを返した。

「たしかにそのとおりです」

いつもは伏し目がちにとつとつと話すF君が、身を乗り出すようにして言った。

「でも、島の人間の皮膚感覚で島を伝えるものが、あまりないんです。民俗学や文化論的な切り口や、観光をあつかったものはたくさんあるけど……。どれもピンとこないんです」

「重たいな」それがぼくの感想だった。ぼくはあくまでも旅人の気楽さ、身勝手さでその土地に行き、人々の生活をかすめるようにして通りすぎているに過ぎない。ひょっとするとそこからこの国の現実が見えるかもしれない、と思ってはいるが、あくまでもぼく自身がなにを感じ、なにを考え、なにを得られるかを問題にしているのだ。まったく個人的な旅なのだ。

実際、前作「トカラへ」は、ルポルタージュではなくエッセイ集だ。トカラ列島の自然や暮らし、さまざまな事実、出来事を通して、ぼくが感じ考えたことをまとめたのだ。正確な、等身大のトカラ列島の姿ではなく、ぼく個人の見方、考え方でとらえたトカラ列島なのだ。
ところが、「島の人間の皮膚感覚で島を伝えるもの」というのは、どうやら島の人々、いや、自然も暮らしもなにもかもふくめた島そのものの代弁者になれという意味らしい。

「ぼくはだれかの代弁者になるつもりで旅をしたり、ものを書く気にはなれない」

「もちろん、そんなつもりはありません」

F君は、「皮膚感覚」をこんなふうに説明した。

「いいこともわるいことも、島のひとが読んで、そうだそうだって思えることですよ。触れられたくないことだってたくさんあるけど、公然の秘密っていうか、だれだって知ってる。小さい社会だから、みんなが賛成してるみたいでも、実は思いがばらばらだったりとか。そんなこともふくめて、そうだそうだって思えるってことですよ。
種子島は鉄砲とロケットの島でしょ。屋久島は自然遺産の島でしょ。トカラは秘境……。ほんとうにそうなんですかねえ。ぼくは島のひとたちの気分でいうと、ちょっとちがうような気がする。そこのところを書いてほしいんです」

それもまた、重い話だった。「ちょっとちがう」なにかを見つけるために、歩かなければならなくなる。
ぼくはこれまでの旅を思い出していた。ひたすら日本中を歩いた十代の旅、日本を飛び出しヨーロッパに足を向けた二十代、身近なアジアに目が向いた三十代、そしてもう一度日本にこだわろうとしている今が四十代なのだ。思いついたときに、ぶらっと旅に出た。なんの計画も目的ももたずに。行き先さえ決めていないこともあった。妙な思いこみもあったようだ。目的や目的地をもった旅は、旅ではない、たんなる移動だ、と。ぼくは、自分がこれまでしてきた旅のディテールとアトモスフィアを、はっきりと覚えている。もし目的や目的地があったとしたらそうはいかなかっただろうし、そう考えると、ぼくは旅そのものをも目的とはしてこなかったようだ。そう、ぼくは目的というやつが旅をつまらなくし、億劫にしてしまうと思っている。
でも、ほとんどのひとは目的をもって旅をするし、計画とか目的のない旅を「放浪」という。旅には目的が必要で、目的のないものは旅とは言わないらしい。

ぼくの友人に、目的はあっても計画のない壮大な放浪の旅をしてしまった人間がいる。彼は、ジョン・レノンが暗殺されたニューヨークのアパート、ダコタハウスを一目だけでも見たいといって、ロサンジェルスからニューヨークまでヒッチハイクで行き、ダコタハウスの前で一日たばこをふかして座り、またヒッチハイクでロスに戻った。そしてその旅から何年が過ぎても、一部始終を事細かに話してくれる。ぼくたちはそれを聞きながら映画を観ているような気分になったものだ。この場合、ひとはまず目的のばかばかしさにあきれ、そのために膨大な時間を浪費し、見ず知らずの土地で危険と隣り合わせの移動をしたことに、ふたたびあきれる。

ぼくの敬愛する作家戸井十月は、五大陸をバイクで走破し、「旅のプロ」を自認する。彼の旅の記録は、ぼくたちにいろんなことを、つまりぼくたちが暮らす世界の現実を教えてくれる。そして彼も、そのことを目的にしている。だが、ぼくはどうしても「旅のプロ」という言い方は好きになれない。たしかに彼の場合スポンサーを探して、金品の提供を受け旅に出るという意味では、まちがいなく「プロ」だと思うけれど……。

どちらの場合も、ぼくには到底無理な話だ。それはぼくが、目的をもつと一刻も早く達しないとだめだという、とてもせっかちな性分だからだ。

「なにかを見つけるためにっていうのは苦手だな。強いて言うなら、なぜ旅をしつづけるのかっていうのは、旅の中で見つけたいなって思うけど……。見えてくるもの以外に、なにかを見つけるためっていうのは……」

「いいえ、見えないものを見てほしいとは思いません……」

F君はそう言うと黙り込み、次に口を開いた時には別の話題を持ち出した。
いつのまにか、ぼくたちのあいだにあったコーヒーカップは缶ビールにかわり、なんとなく旅の話はこれで終わりかなと、ぼくは思っていた。
が、腰を上げかけて、F君は少々酔った目でぼくを見据えて言った。

「ぼくは島が大好きなんです。生まれて育ったところだから……。だから、見てほしいだけなんだ」

そんなに好きな島を、どうして彼は離れたんだろう。
そう思った時、離島へのふたたびの旅が、もうはじまっていたような気がする。


「種子島へ 拒めない海」2000年6月刊 再海社
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