4)青い影
 
 

鹿児島市の北埠頭を出航して一時間以上たった。 退屈なぼくの興味は、いつ海上に種子島が姿を現すか。そしてその時の第一印象がどうなのかということ以外にはなかった。佐多岬から四十キロあまり。晴れた日には島影がはっきり見えるという。当然大隅海峡からもその姿が見えると思っていた。しかし、期待したその姿はいっこうに見えてこなかった。

仕方のないことかもしれないな。最高点が二千メートルを超える屋久島ならまだしも、二百八十二メートルをわずかに超えるだけの種子島だ。かなり近づかないと島の全貌は見えてこないかもしれない。そういえば前に駆け足で種子島、屋久島と続けて渡った時も、種子島からは屋久島の姿がよく見えたが、屋久島から種子島の姿を見たという記憶はなかった。いや、見えていたのかもしれないが、それほどの印象しか残っていなかったということだろう。

島影が姿を現すのを待ち船が進む先の海面を眺めながら、種子島のこと、今度の旅のことを考えた。
ぼくの中では種子島を、かならずといっていいほど屋久島とおなじイメージでとらえる傾向があった。なにをばかなことを、全然ちがう島じゃないか、と言われそうだが、たしかにそうなんだ。いや、おなじイメージというよりも、屋久島のイメージでと言った方がいいかもしれない。正直にいうと、種子島については気候や地形についての知識は別として、わずかばかりの印象しかもっていなかったというのが正しい。

屋久島については、ヤクシカ、ヤクザルたちが暮らし、縄文杉、紀元杉などという仙人のような樹木たちが生きる原生的な森林や、洋上アルプスとまでいわれる起伏に富んだ山々や地形に強くひかれていた。しかし、種子島については、鉄砲伝来の島である、あるいは、ロケット打ち上げの島である、という程度の印象しかなく、自分から進んで渡ってみようというふうに思ったことはなかった。

「こんな仕事でもないかぎり、渡らなかったかもしれないな」 だが、旅を終えてふたたび鹿児島に向けて大隅海峡を渡る時、種子島へのぼくの思い、印象は大きく変わることになる。そんなことになるとは思いもよらず、ぼくはそのとき、国道58号線の西之表から島間までのおよそ六十キロと、北端の喜志鹿崎から南端の門倉岬までのおよそ七十キロを、とにかく自分の足で歩いてみようと、それだけを考えていた。あとは行き当たりばったり。そのときどうするか決めればいい、と。

寄り道をしながら歩いたとしても、百五十キロにならないだろう。真夏の太陽を浴びながらのトカラ列島の旅では、三十キロあまりの荷物を背負い二百キロあまりを歩ききった。それに比べれば今回は荷物も軽いし……。そんなことも緊張感が感じられない理由のひとつなのだろう。

島影さえ見えれば、テンションも変わるかもしれない。さあ、いよいよだ、って。そんなことを思いながらその島が姿を現すのを待った。

「ほら、見えましたよ」

同行のTさんが言った。
彼女が指さす方を見た。その島影は海上につきだした壁のように、細長く横たわっていた。
十分な陽光を浴びているにもかかわらず、島影は黒く細長い壁のままだった。

それがようやく青い影に変わったのは、もうあと十分ほどで入港するという時分になってからだった。どんな山だって、島だって、麓あるいは海から高度を追って見ていけば、多かれ少なかれ植生の変化があって、緑ひとつをとってみてもさまざまな変化を見せるはずだ。しかし、この島はどうだ。たしかに海面すれすれに白い帯の見えるところはある。おそらく砂浜だろう。市街地らしきあたりを見れば、コンクリートだろう、灰色のかたまりが見える。しかし、島全体としては深い青に支配されていた。

気候的にいえば、温暖気候に近いけれど亜熱帯性気候の島だ。亜熱帯性常緑広葉樹林帯から照葉樹林帯までの植物が、つまりメヒルギやビロウ、ソテツからガジュマル、アコウ、ヤクタネゴヨウなど、この島を北限、あるいは南限にする植物たちが見られるはずだ。種子島の森は豊かなのだ。それがぼくのわずかばかりの知識だった。

しかし、目の前の島に見えるのは深い青だけだ。実際に、あの青い影の中に分け入って見なければわからない。まるで島全体が手招きしているようなものだ。そう思った。少しだけ緊張感が戻ってきたような気がした。 それ以外にぼくがもっていたデータは、ガイドブックに書かれているような一般的なものだった。いちいちならべても、おもしろくないかもしれないけれど、いっしょに旅をしようというつもりで記すことにする。

種子島は、九州本土最南端の佐多岬から南東におよそ四十キロ離れている。鹿児島市からだとおよそ百十キロ離れていることになる。ぼくの目からは壁だが、要は島全体がなだらかな丘陵になっているということだ。いちばん高いところでも花峯尾の二八二・三メートルだ。東は太平洋、西は東シナ海に面している。総面積は四五六・八三平方キロで、ひとの住む離島の中では五番目に大きな島だ。ただしこれには淡路島などの橋でつながれた島は含まない。行政区でいうと、西之表市、中種子町、南種子町の一市二町があり、全島で三万七千人足らずのひとが暮らしている。そう、青い影の中にそれだけのひとの暮らしがあるんだ。

この三万七千という人口も、今度の旅から緊張感を奪っているひとつだ。 離島というイメージからすると、三万七千という数は大きい。ぼくの頭の中に、七百二十人というトカラ列島十島村の人口が離島のイメージとして残っているのは言うまでもない。そのことをTさんに話すと、ぼくとはまたちがった印象をもっていた。

「ずっと減ってきて今の数ですからね。これからも減り続けていくでしょう。きっと」

本土に近く、島の規模も大きいからこの数なんだと。しかし、減り続けていく、つまり過疎の島であることは種子島もトカラ列島も、ほかの離島もおなじ状況じゃないだろうかと彼女は言った。

彼女については、種子島出身者であり、久しぶりの墓参りのためにぼくの旅に同行しているとだけ説明しておく。彼女に関する物語は、あとで詳しく……。 彼女と話をしながら、ぼくは青い影を眺めていた。あの影はベールなんだ。そんな気がした。これから、一枚ずつベールを剥がしていく。

ジェットフォイルは猛スピードで西之表港に入った。つきだした埠頭を大きく迂回するように旋回し、スピードを落とした。視線が波に近くなった。どうやら着水したらしい。

いよいよ旅がはじまる。


「種子島へ 拒めない海」2000年6月刊 再海社
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