5)お墓参り(一)
 
 

「やっぱり都会だな」

西之表港に下り立って、ぼくはつぶやいた。 港のまわりは背後の山の麓まで、いや、山の上まで家並みが続き、ビルも少なくない。おなじ離島とはいうもののいうものの、トカラ列島の集落とは、およそかけ離れた風景だ。

「あなたはいったい、この島をなんだと思っていたのですか。とんでもないドいなかだと思っていたのですか」

同行のTさんが責めるように言った。
Tさんは重い障害をもっている。今、鹿児島市でおなじように障害をもつひとたちとグループホームで自立した暮らしをしている。種子島を出たのは八歳の時だった。種子島には身寄りはいないが、父親や兄弟が眠る墓がある。墓参りのためにたびたび帰郷しているという。車椅子には乗っていないが一人で移動することはできず、必ず介助の手が必要になる。

だいぶ前に、ぼくは彼女が通う共同作業所やグループホームを取材して、一冊の本にまとめた。それ以来のつきあいだ。ぼくが種子島を取材すると聞いて、墓参りがしたいからと同行することになった。

ぼくにはなんとなく彼女の気持ちがわかるような気がした。F君とおなじだ。きっと種子島のいいところをいっぱい教えてあげたいということなのだろう。ぼくはその気持ちに甘えて、今度の旅の最初の二日間を彼女といっしょに行動することにした。そのために、その二日間は車で移動することにした。だけど、彼女がなぜ島を離れ、離れた島にたびたび戻るのかを含めて、Tさんにとっての種子島を知りたいという思いがあったのも事実だ。

彼女の障害名は脳性麻痺。生まれてくる時に酸欠状態になったことが原因で、脳の運動中枢に障害が残ったという。障害者手帳には、一種一級の最重度の障害をもっていることが明記されている。この文章を読むと、彼女がすらすらとしゃべっているような印象があるかもしれないが、たったひと言を発するにも、彼女にとっては大きなエネルギーが必要なことを書いておかなければならない。
ぼくはまず、なぜ彼女が島を出たかを聞いた。

「養護学校がなかったから……」

Tさんはそう言ったが、それだけでは正確ではない。養護学校はあるにはある。しかし、それは知的障害をもつ学齢期の子どもを対象にしていた。彼女のように身体障害をもつ子どもは、鹿児島に行かなければ養護学校に通えなかった。学校に通うために島を出て寄宿舎に入った。彼女が島を出た事情とは、そういうことだった。四十年近く前のことだが、今もその状況は変わっていない。

ぼくたちは墓参りのための供花を買うために、西之表市でいちばん大きなショッピングセンターに行った。

「ここが私の生まれたところ」

隣に二階建ての小さな家があった。なにもかもが彼女が暮らしていたころと、少しも変わっていないという。彼女の家は魚屋を営んでいたというが、住むひとが変わってもそれは変わらないらしい。玄関の脇にはトロ箱がうずたかく積まれていた。そのたたずまいをじっと見つめる彼女を見て思った。彼女の目はなつかしい家族との日々を見つめているにちがいない。
彼女に残っている身寄りは、母親だけだ。しかし、その母親も夫を亡くし実家のある大隅、垂水市にもどり、その後病を得て今は鹿屋市の病院に身を寄せている。

Tさんは母親の許にも足繁く通い、故郷の墓にもたびたび訪れる。
彼女の家の墓は、小高い山の上の市営墓地のいちばん奥にあった。植え込みのあいだから港が見える。きれいに手入れされた墓だ。O家、M家という二つの家名が彫られている。Mは彼女の名前だ。
供えられていた花は、まだきれいだった。

「だれかがお参りしたみたいだね」

「父さんの友だちが時々お参りしてくれる。そのひとと私しかお参りする者はいない」

墓石に水をかけ、花を供え、線香を立てる。そして手を合わせる。その間十分とかからなかった。

「あっけないなあ」

ぼくは思った。すぐそばに住んでいるでもなし、気軽に来ることができるというのでもない。たびたびといっても二カ月に一度くらいだ。もう少し思いにひたる時間があってもいいんじゃないかと思った。だが、Tさんはさっさと墓をあとにしようとした。

「どうして二つの家の名前が彫ってあるの?」

彼女の足を引き留めようと、とっさにたずねた。 ぼくの問いにTさんはじっと墓石を見つめた。

「Mっていうのは父さんのお母さんの、私のおばあちゃんの姓です。Oっていうのはじいちゃんの姓……」

思ってもみなかったが、ぼくはそこで彼女の人生の話を聞くことになった。

彼女の祖父は生涯に三人の妻をもった。
その三人目がTさんの祖母で彼女の父親はその連れ子だった。そのために父親だけがO家に入ることができず、祖母の旧姓を名乗ったという。祖母を三人目の妻とした時、祖父には二人の男子がおり、わずかだが財産もあった。そんなことが父親の入籍を拒んだ理由だと、彼女は言った。だがその祖父も祖母も、父親も二人の伯父も、既に墓碑銘に名を連ねていた。
これはつらい話なのだろうか。Tさんはあまりにも淡々と話す。
ぼくには彼女のほんとうの思いがつかめなかった。

「このひとがじいちゃん。これがばあちゃん。この二人がおじさん……」

彼女が墓碑銘を指さしながら教えてくれる。
その間に早子、留男という二人の名前があった。享年は「当歳」となっている。つまり死産だ。

「これは私の兄弟。父さんと母さんの子」

Tさんが事も無げに言った。ぼくはなにも言えず彼女のことばを待った。

「私が生まれるずっと前のこと。このほかにも二人、死産だった」

早子、留男という名に、早すぎる生と死、生まれたという事実を心に留めておきたいという切ないほどの思いを感じた。あとの二人は墓碑銘も刻まれなかった。

「五人目に生まれたのが私だった」

彼女はあいかわらず淡々と話す。

「四人までが死産で、五人目にやっと生まれたのが私。母さんはずいぶんとつらい思いをした。嫁として立場がなかったと思う」

彼女も仮死状態で生まれたという。母親は今度もだめだと思ったにちがいない。そして、一命はとりとめたものの重い障害が残った。 今でこそ、ノーマライゼーションだとかバリアフリーだとか、障害をもつひとを地域社会に受け入れていこうという空気が、不十分ではあるがひろがりつつある。しかし四十年前のことだ。母親のつらさを推し量ったとき、どうしようもない気分になるのはぼくだけじゃないだろう。

「でも、祖父は私のことをかわいがってくれた。ひとり娘だったから……」

彼女にとって優しかったのは、八歳までいっしょに暮らした家族だけだったのかもしれない。その思い出が、彼女の足を種子島に向かわせるのかもしれないと思った。

「私にとってはいいじいちゃんだった」

そう言ってTさんは墓石にくるっと背を向けた。こんな話、もういいだろうと、そんな感じだった。だが、なにを思ったのかもう一度墓に向きなおった。そして墓碑銘を指さして言った。

「このひとたちはいいの。私がたびたび来るからさみしくない」。

彼女も彼女の母親も、この墓に入るつもりをしているという。

「あと二人でおしまい。私と母さんね」

そう言って彼女は笑った。

「どうして? 鹿児島じゃだめなの。垂水にはお母さんの親戚もたくさんいるんでしょ」

「ここでいいのお!」

聞けばその墓は、二人の伯父が亡くなって彼女の父親が建てたものだという。もし、親子三人で鹿児島本土に渡っていたら、父親が鹿児島に墓を建てていたら、事情はちがったものになっていただろう。 港への坂道を降りながら彼女はつぶやいた。

「私が入ったあと、だれもお参りに来てくれないから、きっとさみしい」

えっ、と聞き返すと、彼女は大声で笑った。時間が悲しみを癒し、涙を乾かしていく。

翌日、鹿児島に帰るTさんを港で見送ったあと、彼女が祖父とよく散歩をしたという海岸通りを歩いた。歩きながらずっと考えた。Tさんにとっての種子島とは……。 最後まで連れ子として不遇なあつかいを受けた父の境遇。
健康な子どもを産めないとつらい思いをした母の悲しみ。
たとえ祖父がかわいがってくれたにしても、島という小さな社会で障害をもって生まれてきた本人の苦しみ。彼女にとって、この島にはつらい思い出ばかりじゃないだろうかと思っていた。
だが、潮風に吹かれていて少しずつ思いが変わってきた。
祖父に手を引かれて散歩する彼女の後ろ姿が目に浮かぶ。

もし、許されていたなら、彼女はずっとここで生きていきたかったにちがいない。もし、ここに鹿児島とおなじようなグループホームができるなら、島での暮らしを選ぶにちがいないと思った。この島には、Tさんと家族との思い出がいっぱい染み込んでいるのだ。つらいことも、悲しいことも、楽しいことも、うれしいことも……。

「私が入ったあと、だれもお参りに来てくれないから、きっとさみしい」

そのあとに彼女はきっとこう言いたかったんだ。

「でも、うれしい。やっと、家族一緒にいられるようになるんだから」


「種子島へ 拒めない海」2000年6月刊 再海社
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