6)お墓参り(二)
 
 

F君が案内してくれた彼の実家跡は、集落の南の外れにあった。
門倉岬は目と鼻の先だ。平野というこの集落は、全部で三十軒たらずだというから、そんなに大きな集落でもない。
まわりはすべてサトウキビ畑だ。いや、逆だ。サトウキビ畑のまんなかに道路が走り集落がある、そう言った方がいいだろう。道路の両側には新しく建てた家と昔からの家が並び、まっすぐに走る道路とは対照的に、どことなく複雑な家並みをつくり出していた。

「新築の家はね、道路の拡幅工事で補償金をもらって土地を差し出し、その金で家を建て替えた」

彼は、なんとなく冷めた目で、沿道の家々を見ていた。
豪勢な家。ひと言で言えばそんな感じだ。
集落に向かう途中、それまでは寡黙に車を運転していた彼が、南種子に入ると突然饒舌になった。ひときわ美しい、なつかしい田園風景を見て、ホームグラウンドに帰ってきた、そんな感じになったのだろうか。いろんな見どころを嬉々として紹介してくれた。たとえば、野大野あたりでは海峡を隔てて屋久島が見えた。その眺めは南種子八景にも選ばれているそうだが、彼は自分が秘かに隠し持っている宝物を見せるように、ここからの眺めは最高なんだと教えてくれた。それは、ぼくが見たことのない屋久島の姿であり、ほんとうにきれいだと思った。

「きれいだねえ」

彼はぼくのひと言をうれしそうに聞き、何度もうなずいていた。
あるいは青々としたサトウキビ畑を眺めながら、サトウキビを育てて刈り取るまでに、農家がいかに苦労を重ねるかを、その割にはいかに実入りが少ないかを、熱っぽく語った。そこには、親がどんなに過酷な労働を強いられたかということもあったが、学校が休みでも畑仕事に駆り出される子どもの苦労、不満、諦めというものもあった。だが、決してその表情は暗くなかった。彼にとってはサトウキビ畑での農作業も、宝物のような体験なのだ。

「ふうん、小さい子どもまで……。大変なんだねえ」

「うん。でもやったことのある者にしか、わかりませんよ。ほんとに大変なんだから」

自慢だ。ぼくには彼の思いが手に取るようにわかった。ぼくにだって記憶がある。身にふりかかる出来事が過酷であればあるほど、それを乗り切ったことが自慢になるんだ。子どものころは怪我だって自慢になるのだ。同級生が腕や足を包帯でぐるぐる巻きにして学校に来ると、もうヒーローあつかいだった。怪我をした原因や、ようすや、病院での処置を根掘り葉掘り聞き出したものだ。幼児性が抜けきっていないのか、ぼくは今だってそうだ。旅の話をして、

「大変な旅をされたんですねえ」

などと言われた日には、もう、うれしくて顔がほころびるのをどうやってごまかそうかと、大慌てするくらいだ。

「でもやったことのある者にしか、わかりませんよ」

という彼のことばの裏には、俺たちは子どものころから働いていたんだという思いが強く込められているようだ。ぼくが作業のことをどうのこうのと批評するのを、暗に拒んでいるようだった。彼はサトウキビの植え付けから下草刈り、刈り取り、そして出荷までをていねいに説明してくれた。まるで遊びの手順、ルールを説明する、そんな雰囲気すら感じられた。
しかし、彼の饒舌さは沿道の家並みを見て、突然鈍った。

「立ち退きの補償金をもらって、家を建てなおすことがそんなに悪いことなのかねえ」

「似合わないよ」

彼はしばらく考えて吐き捨てるように言った。
なにに似合わないのだろう。田園風景に、モダンな輸入住宅のような家が似合わないと言っているのだろうか。農家の暮らし方に似合わないと言っているのだろうか。あるいはこの島に似合わないと言っているのだろうか。彼はそれ以上ことばを継がなかった。いずれにしても小さな集落だ。血のつながりはなくても、みんなが親戚同様のつきあいをしているのはまちがいない。新しく建てられたそれぞれの家にどんな家族が暮らしているのか、彼はよく知っているはずだ。

「なんだ、ひとが補償金をもらったって家を新築したっていうのが、妬ましくておもしろくないのかい?」

なかば茶化してたずねてみた。

「まさか」

ばかにするなという目で彼はにらんだ。

「じゃあ、なにが似合わないんだ?」

「子どものころから好きだった景色……」

彼は突然口をつぐんだ。

「どうしたんだい?」

「うん……。だって、もうよそ者だから」

彼の思いはなんとなく伝わってきた。
ぼくにもおなじような思いがある。
京都を出て四年になる。その間、巨大な壁のような京都駅ビルが建ち、町家の家並みは取り壊されマンションや商業ビルがそれにとってかわった。最近では鴨川にフランス風の橋を架けるとか、碁盤の目の中に何本もの高架高速道路を通す計画まであると聞いた。ぼくが大好きだった京都の風景は、どんどん変わっていく。それを進化だと言うひともいれば、破壊だと言うひともいる。発展だと言うひともいれば、退廃だと言うひともいる。必要だと言うひともいれば、不要だと言うひともいる。善だと言うひともいれば、悪だと言うひともいる。ぼくにはどちらなのかわからない。

だけど、ぼくが大好きだった京都の風景、風情は、確実になくなっている。京都らしさがなくなっているのだ。京都は東京や横浜、名古屋、大阪などのように、機能を最優先した近代的な都市になる必要はない、とぼくは信じている。でも、それは今京都で暮らしているひとたちが決めることなんだと言われれば、なにも言えなくなる自分がさみしい。心の奥底の方で、

「いや、京都は日本の宝なんだ」

と思ってみても、やはりその場で暮らしているひとの意思は重いと思うからだ。ただしそれが、そこで暮らす大多数のひとの意思を表しているとすればだが。

「うん、よそ者だから、なんとも言えないな」

もう一度そう言うと、彼は深い溜息をつき、道路の脇に車を停めた。
もと彼の実家があったというところだ。車から降りて道路から一段高い場所に上った。建物が取り壊されたあと、雑草に占拠されていた。南を見た。サトウキビ畑の向こうに青々とした海が見えた。太平洋だ。

「いいところで育ったんだねえ」

「子どものころね、よく屋根に上って海を眺めたもんです。ただ眺めてるだけだけど、楽しかった」

そう言いながら、彼はすぐ下を走る道路を見ていた。拡幅工事の途中で、まだ完全な舗装工事はすんでいない。

「もともとうちの家も、あの道路の半分まであったんです」

「えっ?」

「そう、うちも拡幅工事の路線にひっかかった」

「じゃあ……」

「そう、うちは補償金をもらって鹿児島市内に家を建てて島を出た」

彼の表情には自嘲気味な笑いがうかんだ。

「不似合いな家を建てたって、島で生きていこうっていうんだから……。こっちはなにを言う資格もないような気がするなあ」

家が建っていた土地は、彼の希望もあり手放さず、ひとにも貸さず、そのままになっている。

「手入れすればいいんだろうけどなあ……」

ふたたび自嘲気味に笑う。ほとんどがサトウキビ畑だが、五千平方メートルあまりの耕地はひとに貸しているという。家のまわりの耕地がそうだった。

「ちょっと、墓参りに行きましょ」

車に乗るように促された。種子島で二度目の墓参りだ。
すぐに車を停めると、彼はサトウキビ畑に続く細い農道に分け入っていった。二十メートルほど入ると、サトウキビに囲まれた円形の空き地があった。いや、墓地だ。

「君の家のお墓?」

「いえ、もうありません。鹿児島にもって行っちゃったから。昔ここにあったんです。おやじが鹿児島に行く時に、いっしょにもって行っちゃった」

ぼくらはしばらく小さな墓地でぼうっと立っていた。なにを話すでもなく、なにをするでもなく。ぼくらよりもずっと背の高いサトウキビに丸く囲まれて、見上げる空も丸い。ぼくらにはとどかないが、風はたしかに吹いている。てっぺんあたりのサトウキビの葉っぱが、さわさわと音を立てている。
たしかに彼が言うように、この風景と洋風のモダンな建築は似合わないかもしれないな。そう思った時だ。彼が口を開いた。

「なんていうのかな。道路の計画にひっかかって、ほんとうはそれって具合の悪いことでしょ。土地を道路に取られるんだから。でも、それが補償金という形でラッキーに変わるわけですよ。たまたま計画にかかったからラッキー。かからなかったからアンラッキー。おなじ集落の中で、とっても複雑な思いを、みんなが味わったんですよ……」

ひょっとすると、彼の父親はそんな思いに耐えかねて、島を出ようと決めたのかもしれない。だれが金をもらって、だれがもらわなかったか。人々の複雑な思いをそのまま表すように、家並みは複雑になってしまった。

「似合わない」

それは、彼の集落のひとたちを傷つけたくないという、精いっぱいの優しさを込めたことばだったのだろう。彼は、種子島を出張で訪れるたびに、自分の家のあった集落まで足をのばすという。そしてこの日とおなじように、雑草の中を歩き、海を眺め、サトウキビの中に分け入る。
だれに会うためでもない。
ただ、変わり行く風景を見つめるためだけにだ。


「種子島へ 拒めない海」2000年6月刊 再海社
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