16)長距離走者の孤独
 
 

こんなことはめったにないことだが、ぼくは今度の種子島の旅に二冊の本を持ってきた。トカラの旅に出る時には、はなからそんな気にはならなかったし、実際持ってなんかいかなかった。本など読んでいる暇はない。そう思っていた。そんな暇があれば一歩でも先に進みたかったし、一人でも多くのひとと話したかった。しかし、種子島ではなんとなく時間をもてあますような気がしたのだ。

二冊の本とは、A・シリトーの『長距離走者の孤独』と宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』だった。なぜこの二冊をえらんだのか、正確な理由は忘れてしまったが、好きな本だというだけで特別にはなかったと思う。だけど結局、種子島にいる間、ぼくはただの一度もページを開くことはなかった。

どうでもいいことだけれど、文庫本というのはとても便利だなあと思う。一昔前は、旅行だというと文庫本を持って出るひとが多かったように思う。文庫本のコマーシャルにもそんな切り口のものがあったように記憶している。だけど、最近は旅行にまでCDやMDを何枚も持って行くというひとが多いらしい。せっかく旅行に出るのに、どうして日常を引きずっていくんだろうと、ぼくなんかは思ってしまう。

移動中の暇つぶしだというひとが多いが、一枚で小一時間、繰り返しおなじものを聴いたってすぐに飽きるし、何枚持っていったっておなじこと。一度聴いてしまえば飽きてしまう。なかには旅先で新しいソフトを何枚も買い込むというひともいるらしい。暇つぶしだといっても、そのあいだにもいろんなひとに出会って、いろんな話ができるのに。そこに行くと本はまだましだ、と物書きであるぼくは、屁理屈のように言い放ってしまう。

しかし、CD、MDとおなじような理由で、ぼくはほとんどの場合、国内の旅に出るとき荷物の中に本を入れることはめったにない。だけどもし、どうしてもというときには、文庫本にかぎる。第一、何冊か持っていっても軽いもの。読まなかったとしても、よけいな荷物を持っていったなどという、損した気分にならなくていい。しかもぼくの場合は、読んだことのないまっさらなやつを新たに買い込んでいくのではなく、読み古した愛読書というやつを持って出ることにしている。

見知らぬ土地で心細くなったとき、ぼろぼろになった文庫本を見ると、古くからの知り合いにあったようなほっとした気分になれるし、雰囲気を変えて読めば、またちがったなにかが行間に見えてくるからだ。ぼくは変わり者なのだろうか。一度読んだからといって、飽きてしまうこともないし、旅先で新しい本を買い込むこともしない。

海外へ行く場合は少し事情がちがう。最近はそうでもないが、若いころ観光客がめったに行かないような外国の町に何日かいると、きまって日本語を聞きたい、日本語の文章を読みたいと、どうしようもなくなって泣きそうになったことがあった。だから海外へ出るときは必ず持って出るようにしている。薬のようなものだ。 『銀河鉄道の夜』はさておき、『長距離走者の孤独』が好きなのには理由があった。

ぼくは、中学入学と同時に大学を卒業するまで、ずっと陸上競技をしていた。しかも、五千メートル、一万メートルという長距離を専門にしていたのだ。陸上競技に興味のない友人たちは、ぼくのことを大変な禁欲主義者だと決めつけていた。いちばんの理由は、つらいだけでまったく楽しそうには見えないからだ。試合に出てもトップを争うような走りをするならまだしも、集団のいちばんうしろについていくのが精いっぱいで、最後尾でゴールインしたときは精も魂も尽きはてたというように倒れ込む。見ていて楽しそうだなんて感じる方がおかしい。

そういう友人の目には、ぼくが自分に対して手抜きを許さず、妥協を許さず、自分の弱さや限界を克服するために徹底的に走っている、そんなふうに見えたのだ。実際に「なんでそんなにしんどい思いをして走るんだ」と、何度となくたずねられた。だが、ぼくはその問いにはっきりとは答えられなかった。おなじことを自分自身でも問い、答えが見つからないまま悶々と走っていたというのが、正直なところだ。ただ、好きだったんだ。しんどくて、つらいことが? いや、ちがう。スターとしてゴールするまでの孤独感が、なんとも言えず好きだったのだ。

競走に出て、最後尾から走っているときは、ほんとうに孤独で、そして恥ずかしい。何度途中で放棄しようと思ったかわからない。しかし、結局は最後まで走りきってしまうのだ。その孤独感に耐えているとき、ぼくははっきりと自分自身の存在を感じていた。走るということに自分の居場所を見いだしていたのかもしれない。

そしてもうひとつ。走ることをやめて二十年以上たって今、走ることに対する疑問を呈されてようやく別の答えが用意できるようになった。

「なんとなく旅みたいだ」
そう感じるようになったのだ。
ついこのあいだもそう言って友人に笑われた。勘違いのないようにことわっておくが、そう思いながら走っていたのではない。今ふりかえり、しかも一年のほとんどを旅するような生活をするようになって、はじめて感じたことなのだ。

だってそうじゃないか。いったん旅に出たら、目的を果たして元の場所に帰り着くまで、旅を続けなければならない。途中で放棄することもできるが、それは帰るべき土地、人々、日常という空間を放棄することにほかならない。そのままどこかに居着いてしまいたいと思うときもあるが、そんなことは不可能だ。記憶の中にいろんな思いを残して日常にもどってくる。目的のない旅ならなおさらだ。なぜ旅に出るんだろうって思いながら歩いてるんだから。それがまた旅に出る原動力になる。そう思うと、走ることも旅も、人生になぞらえてもいいなと思う。いろんな思いを抱きながらひとは生き続けていく。

長距離走者の孤独は、生きていくことの孤独といっしょなのかもしれない。 そんなぼくにとって、種子島のあちこちで見かけた「たねがしまロケットマラソン」のポスターは、とても気になるものだった。背中から炎を噴き上げて走るランナーのイラストが描かれていたのだ。ロケットっていうイメージはわからなくもないが、百メートル走じゃあるまいし……、と見かけるたびにおもしろがっていた。ぼくのもっている「孤独」なんていうイメージにはほど遠いな、って。

このマラソンは、西之表市をスタートして南種子町の宇宙センターをゴールにする市民マラソンで、毎年三月に開催されている。子ども向けのコースからフルマラソンまで、いろんなコースがある。年々参加者が増え、昨年は六百人を超えたという。島外からの参加者も多く、その大半が家族同伴で宿泊するので、南種子町では観光誘致の切り札にと期待を寄せている。無理のない話だ。一度に大勢の観光客を迎えるのは、宇宙センターでのロケットの打ち上げか、このマラソンだけだという。ロケットの打ち上げは不定期で、しかも失敗が続き、毎年開催されるこのマラソンにはどうしても期待が膨らむ。

「炎を噴き上げて走るのも仕方ないな……」
話を聞いて、ぼくは妙な納得をした。マラソン大会ではあるが、観光誘致のためのイベントなんだ。派手な方がいいに決まっている。

だが、ぼくは、マラソン大会の話よりも、それを話してくれたひとの人生に興味をもった。彼は大会事務局の事務局長をしていたが、役場の職員でもなく、観光協会の職員でもなく、ひらたく言えばボランティアだった。

「お仕事はなにをされているのですか」

ぼくは当然のようにサトウキビ畑か、船の上で働く彼の姿を想像しながら聞いた。

「正確には無職です」

彼は照れたように笑った。

Uターンでこの島にもどってきた。しかし、はっきりとした仕事のあてがあってもどってきたのではないとも言った。
実家は南種子の西海岸にある。漁業を生業にしていた。しかし、彼は高校を卒業して、あたりまえのように本土の大学に進学し、そして本土の企業に就職する。

「島を離れることになんの躊躇もなかった。まず、島には大学がないし、進学しようと思えば必ず出ることになるでしょう。次が就職。大学に行く行かないは別としても、島にぜんぜん仕事がなかったわけじゃないし、仕事に貴賤をいうわけではないけど、やりたいと思うような仕事は島を見渡してもなかった」

これは島を出ていくほとんどの若者たちが口にすることだ。
ぼくは彼が生まれ育った海辺の町に立ち寄ってみた。東シナ海を渡ってきた季節風が、激しく吹きつける。そこにひとが暮らしている事実を叫ぶように、家々が肩を寄せ合い強風に立ち向かうように建っていた。小さいが力を感じる町だった。港につながれた漁船が漁業の町であることを教えてくれる。だが、彼にとって漁業は選択肢に入っていなかったようだ。詳しくは聞かなかったが、サトウキビ農家の状況に似たものがあるのだろう。結局彼は本土で就職し、結婚して子どもをもうけ、都市で暮らしていた。最後の任地は鹿児島だった。

ぼくはこの話を聞いた時、本土の大学への進学はスタートみたいなものだったんだろうと思った。それこそゴールの見えないスタートだ。その決断を迫られたときは孤独だったにちがいない。自分が育ち親が暮らす島を、故郷という曖昧なイメージの中に封じ込めたのだ。二度と現実のものとすることはできないかもしれない。しかし、彼は走り出したのだ。

だが状況は一変する。母親が倒れたのだ。

「島に帰るということを、現実の問題として考えていなかったから……」

暮らしていく基盤はなにもない。年老いた親がいて、そこで育ったという記憶と事実だけが残っているのだ。走り続けていた彼は不意に立ち止まり、考え込むことになる。

「親を呼び寄せていっしょに暮らすことも考えたけど、結局親は首を縦にはふらんかった。あたりまえだよね、歳とってから見ず知らずの土地で暮らすなんて……」

ぼくは自分の両親のことを思い出していた。彼らももうじき八十歳を迎える。だが、二人きりで暮らしている。二人ともいくつかの大病を患い、生死の境をさまよったこともあるが、こんな頼りない息子の世話にはなりたくないということだろう。なんとか二人でうまくやっているようだ。去年あたりからいっしょに住もうかと、鹿児島に呼ぼうとするが、鼻で笑う。まだまだお前の世話にはならんということだろう。だからぼくも放っている。いざというときはぼくが動くしかないんだ、と腹をくくりながら。

だが、彼は動いた。両親といっしょに暮らすため、家族をつれ島にもどった。走るコースを大きく変えたのだ。

「親には言われましたよ。もどってきても仕事はないぞって。ぼくにしてもなにか打算とかつもりがあったわけでもない。とにかく帰ろうって思ったんです」

彼は親のためにもどったのだろうか。

「いいえ、直接のきっかけはもちろん親だったけど、今ふりかえるとそればっかりが理由じゃなかったような気がするなあ」

そうしてもどった彼を待っていたのは、父親のことばどおり就職先のない厳しい現実だった。

「漁だってあんまり魚もとれんしね……。就職先はないし、はっきり言って、収入は三分の一くらいまで減った」

だけど表情は明るい。

「あんまり金を遣いませんもんね。飲みに行くところはないし……。近所の家をあっち行き、こっち行きして、みんな家で飲んでますよ。食べていくには十分だ」

ぼくは思い切って訊いた。

「この島に帰ってきてよかったですか」

「子どもがね、こっちへ来るのをすごくいやがったんです。泣いてね。でもね、また本土の大きな町に帰るとしたらどうするってきいたら、絶対いやだって言うんですよ。子どもにとってはよかったんじゃないかな……」

「あなた自身にとってはどうなんだ」と訊きかけてやめた。
彼にも、彼の奥さんにも、そして両親にもいろんな思いがあるにちがいない。それを、帰ってきてよかったかどうかなんて、ひと言で答えられるわけがないじゃないか。なんてぼくはバカなんだろう。そう思った時だ。彼がことばを継いだ。

「自分が今住んでいるところがいちばんだと思わないと、人生って、さびしいじゃないですか」

いろんな思いが彼を走り続けさせているんだ。そして、まわりのひとたちもおなじようにいろんな思いをもっていることを、彼はよく知っている。
彼はこの島で走りはじめたばかりだが、決して孤独ではないと思った。


「種子島へ 拒めない海」2000年6月刊 再海社
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