20)海をめぐって 3:ナガラメトルナ
 
 

こんな立て札を、種子島の海岸のあちこちで見かけた。漁協がナガラメ(トコブシ)の稚貝を放流しているのだ。ところがそれを密漁する者がいるという。
ぼくは遊びにやってきたダイバーや、サーファー、あるいは観光客が遊んだついでに採っていくものだとばかり思っていた。ところが話を聞くと、そうではないようだ。

「いやあ、サーファーや観光客なら、採ってってもせいぜい自分が食べるくらいだろ」

久保田川近くの海岸で出会った漁師は、苦笑いで言った。

「ここで放流をやってるって知ってるもんが、どっさり採っていくんだ。料理屋とかに売るのにね。俺らの苦労を知らんのか、知っていても知らんぷりしてるのか」

漁師は大きなためいきをついた。おなじ島で暮らす者が、密漁しているというのだ。

「勝手にひとの畑に入って、でけたもんを黙って採っていくみたいなもんだろ。だから情けないけどこんな看板を建てんなならんのだ」

彼が指さす方を見ると、小さな看板が立っていた。

「ナガラメトルナ 海岸への立入を禁ず!」

強い語調で書かれていた。

「海は俺らのもんだあって思ってる漁師はたくさんいる。でも、あんたらからすると、海岸に入るなっていうのは、どうも納得でけんだろ。どうだい?」

「ええ、まあ、放流されたものを勝手に採るなっていうのはわかるけど……」

「ああ、その通りだ。言いたいことはわかるよ。だけど、俺ら漁師にとっては海は生活の場なんだよ。あんたらみたいに遊ぶために海に入るんじゃないんだ。そこを踏み荒らすなっていうことなんだ。あんた、ひとの畑に勝手に入らんだろう」

「……」

ぼくは自分が責められているような気分だった。その場所を生活の場にしているひとにとっては、観光地であろうが何であろうが関係ない。しかし、そんなことは旅を続けている間にすぐに忘れてしまう。旅は自分にとっては非日常だが、他人の日常に入っていくということでもあるのだ。
観光パンフレットで紹介されているどんなに美しい風景の中にも、額に汗して働いているひとが必ずいるし、多くの人々の暮らしがあるのだ。それを見ようとしないひとには、ほんとうの意味での旅はできない。
美しい海岸に突き出した褐色の大きな岩に、白いペンキで書かれた七文字、ナガラメトルナ。ぼくはこの島の日常を強烈につきつけられた。


「種子島へ 拒めない海」2000年6月刊 再海社
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