20)海をめぐって 5:千座の岩屋
 
 

車は一気に南下する。
イヌマキの原生林、メヒルギの自生地をあっというまに過ぎる。

「この道路ができて、便利になったけどねえ」

あいかわらずF君は前を向いたまま話した。

「メヒルギの自生地のど真ん中を通したのね。とうぜん自生地は狭くなったし、ぼくなんかそのうち絶えてなくなるんじゃないかって思いますよ。まあ、メヒルギなんかあったって、なんの足しにもならないって思っているひとも多いけどね。それよりもやっぱり、道路でしょ」

たしかにそのとおりだと思った。頭っからなにがなんでも道路だっていうひとも、そんなに多くはないはずだ。目の前の生き物や植物が、たとえ絶滅寸前の希少種だとしても、天秤にかけるとやっぱり暮らしが大切だというひとが、いちばん多いのじゃあないだろうか。メヒルギなんて、もっと南の島に行けば山ほどあるじゃないか。別に種子島のものが消えてなくなってもだいじょうぶだ、って。だけど、きっと、どこに住んでいるひともみんな、そんなふうに考えているんだ。自分の身のまわりくらい、いいじゃないかって。だから、この国のあちこちでいろんな生き物や植物がどんどん消えていこうとしているんだ。この国のひとは、最後は人間だけで、コンクリートとアスファルトに囲まれて生きてく決意をかためているらしい。

千座の岩屋は東海岸を南下して、南種子町に入ってすぐ、浜田の海岸にある。白い砂浜の南の端。沖にのびた岬がながい時間をかけて波に削られ、いくつかの島に姿を変えている。その陸の付け根に千座の岩屋がある。馬立の岩屋のように、波に削られて大きな洞窟ができているのだが、こちらのほうは洞窟が迷路のように何本ものびている。そのいちばん深いところは、いや、いちばん海に近いところだ、引き潮のときには一度に千人が座れるというところからこの名前が付けられたという。

馬立の岩屋もそうだが、千座の岩屋もやがて、気の遠くなるような時間をかけて、波に完全に呑み込まれる日がくるはずだ。その時、ひとがどうなっているか、ぼくには想像もつかない。ひとは自然を自分のものにし、名前を付けたり、形を変えたり、好き勝手なことをしている。目の前に転がる石ころが過ごしてきた時間の方が、人間が存在してきた時間よりずっとながいのに。

自然がつくり出した造形に対する畏れのあらわれだろうか、あるいはその近くに小さな祠でもあるのだろうか。千座の岩屋の入り口の前には、小さな鳥居が建っていた。鳥居の上には無数の石が積まれている。訪れたひとが前のひとに倣って積んでいくのだろう。なんのためにだろう。

ひとって生き物はまったく……。そんなことを思いながら、足元の石ころを物色している自分に気づき、自嘲してしまった。


「種子島へ 拒めない海」2000年6月刊 再海社
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