22)ふたたび海をめぐる 3:海の気配、旅の気配
 
 

曇り空のせいもあったのだろうか。北端の喜志鹿崎に立った時、なんとなく行き止まりだなと感じた。たしかに目の前で道は途切れる。その先には速く大きな潮流が横たわっていた。そこから先に進むことはできない。なんとなくあきらめが先に立つ。

ところがどうだろう。門倉岬に立った時、とてつもない解放感がからだの奥からわき上がってきた。おなじように道は途絶え、海に行き着く。おなじように白い波を立てて潮が流れ、海岸には波濤が押し寄せる。なにも変わらない。だけど、岬に立ち、海を眺めていると、この海に乗り出していきたいというどうしようもない衝動に駆られた。なるほど、大隅海峡を望む北の端は、海に乗り出すという場所ではない。実際に見えていなくても、目の前には九州本土がある。海峡を越え本土に渡るのは旅を終えることを意味している。喜志鹿崎に漂っているのは陸の気配であり、ぼくの見たいものではなかった。

この島ではいたるところで都市の気配、本土の気配を感じた。ぼくが見たかったのは、感じたかったのは島の気配であり、島のどこにいても感じられる海の気配だった。それは、ぼくの一方的な思い入れでしかなかったようだ。言ってみれば片思いだ。

だけど、門倉岬の海はぼくの思いを受けとめてくれたようだ。ここに立って感じた解放感は、あるいは海に乗り出していきたいという衝動は、新たな旅の気配なのだ。

種子島の海をめぐる旅は、門倉岬でいったん終えなければならなかった。今度の旅で、ぼくは種子島の海岸線をすべて歩き、自分の目で見るつもりをしていた。しかし、生来の道草癖のせいで時間と金を浪費してしまった。結局、門倉岬から島間の灯台までのほぼ十五キロ、さらに島間から長浜海岸の塩釜跡までの二十キロ足らずについては、車を飛ばして見てまわるということになった。つまり西海岸のほぼ半分については、自分の足で歩いていないのだ。

ひょっとすると、種子島の海を語る資格はないかもしれない。だけどぼくは、種子島の海の気配を、からだと記憶の中にたっぷり蓄えた。ふたたびこの海をめぐるために。


「種子島へ 拒めない海」2000年6月刊 再海社
(C)SHIMIZU Tetsuo,2002 無断複写、無断転載を禁じます


 
  「種子島へ」INDEX go to home back next
+++ copyrights GOHYAH-DAISUKI 2002 All Rights Reserved +++