![]() ![]() |
|
|||
ふたたび国道58号線にもどる。雨は降り続けている。雨から逃れられるものはいない。かっぱはリュックにしまったままだ。フリースの表面に細かい水滴が着く。ぼくが野間につくまでに、太陽はもどってくるだろうか。国道はしばらく海岸線をはずれた。山を削り国道が敷かれている。両側はコンクリートで固められている。 緩いカーブを曲がりきり何気なく足元を見ると、細長いロープのようなものが落ちていた。が、次の瞬間そのロープが激しく動き出した。もちろんぼくは驚いて数メートル後ろに跳んだ。ヘビだ。二メートルはあるだろう。アオダイショウだ。驚いているのは彼もおなじだ。もがくようにコンクリートで固められた斜面を登ろうとしている。一刻も早く恐ろしい人間の前から姿を隠したいにちがいない。しかし、かわいそうに彼のまわりには身を隠すための草むらはない。その姿を眺めていて、ぼくは無意識のうちに彼をカメラに収めていた。道で出会ったひとたちにカメラを向けて、尊敬を込めてシャッターを切るように。それは、たくさんある今度の旅の写真の中でも、だれもが首を傾げる数枚になっている。 次に出会ったのはゾウを描いた大きな看板だ。形之山化石群。ここから百三十万年前にこの島を闊歩していたニシノオモテゾウの化石が出たそうだ。たしかにいくつもの地層がむき出しになっていて、ここを見るだけでもこの島の地層変動の激しさがわかる。 鉄砲館の展示に教えられたことだけれど、この島は地質学的には熊毛層群に属している。六千万年前に海中で形成され、三千万年前にはじめて陸地として現れたそうだ。その後激しい地層変動をくり返して海と陸の一進一退が続き、およそ一万年前に今の姿になったということだ。これは隣の屋久島とおなじだ。ただ、向こうは少々背が高くて、こちらは背が低い。兄弟のあいだでよく見られるちがい程度のものだ。しかし、今、六千万年という時間を経て、二つの島はぜんぜん別のものというイメージでとらえられている。片や自然の島、片や開発の島、だ。育てられた環境がちがったということなのだろうか。 頭の上で鳥が輪を描いていた。見上げているとゾウの看板の上にとまった。ハトより少し大きいだろうか。頭頂が白く尾に黒い線が入っている。ミサゴだろう。じっとぼくの方を見ている、いや、にらまれているそんな感じだった。 畑の中に突然石造りの男根が現れた。南九州のあちこちを歩いていて、「たのかんさあ」という田の神様がまつられている風景によく出くわしたが、こんな形のものははじめてお目にかかる。豊作を願って建てられたものだろうが、とってもエネルギーを感じる。 ぼくはふたたび国道からそれた。住吉港の堤防沿いに植えられている、ガジュマルの防潮林を見るためだ。 なんて表現したらいいのだろう。その防潮林はちょっとした威容だった。海に向かってにらみをきかせている。そんな感じだ。集落を砂や潮から守るというのにふさわしい姿だと思った。サツマイモと同様、琉球から移植されたのだという。明治初年に植樹されたというから、百年以上の時をこの海辺で過ごしていることになる。ぼくにとっては、なるほどなという風景だ。ガジュマルという呼び名は、琉球で「かぜまもる」といったことにはじまるらしい。 ガジュマルは不思議な植物だ。遠巻きに見ると、枝や幹から垂らした気根が仙人のヒゲのように見える。気根の何本かはやがて地面にたどりつき、太い支柱根になる。ゆっくりと成長するとても穏やかな樹木というイメージだ。だけどこいつは「絞め殺し植物」という別名をもっているんだ。はじめほかの樹木に着生して成長する。流行りのことばでいうとパラサイトだ。そうして気根をのばす。気根が地面に着くと急速に成長して、着生した樹木を枯らしてしまう。結局は自分だけが生き残るのだ。急速に成長するようすは恐ろしいものがある。パラサイトした樹木を気根でおおっていくのだ。 植物や樹木は移動しない、特別なもの以外はほかの樹木を傷つけたり、ましてや殺したりしないと思っているひとがいる。それはまちがいだ。植物だって人間とおなじで自分たちの種を守るのに必死で、そのためには平気で傷つけたり、飲み込んだり、殺したりするんだ。しかし、これは残酷なことでもなんでもない。普通のことなんだ。だけど人間は自分たちの行為になぞらえて、「絞め殺し植物」などと呼ぶ。樹木にとってはいい迷惑だ、きっと。 ぼくはそんな樹木をいくつも見てきた。京都の芦生の森ではオニグルミという木を見た。まわりのどの樹木よりも高く伸び、そして枝をいっぱいに張る。すると、まわりの草木は太陽の光を浴びることができずに、やがて枯れていく。隣の屋久島では、隣の杉を飲み込んだ杉の木を見た。あるいは朽ちて倒れた樹木や古い切り株から、新しく芽吹いた樹木をたくさん見た。すべて自らが生き、種を守るための行いだ。決して他を殺し、滅ぼすことを目的としているのではない。そこがひととはちがうところだ。そしてそういう植物も、ひとにとっては自らの暮らしを守るために最大限活用されるのだ。 「種子島へ 拒めない海」2000年6月刊 再海社 |
| 「種子島へ」INDEX |
| +++ copyrights GOHYAH-DAISUKI 2002 All Rights Reserved +++ |