25)1:旅のテレビ
 
 

旅に出て、いちばんやっかいなものは宿のテレビだ。
近ごろはどんな山奥や離島の宿に行っても、部屋にはかならずテレビが備えられている。情けないのは、旅先でまでテレビのスイッチを入れてしまうぼくだ。旅にあればそれなりの時間の過ごし方があると、本すら持ってでないのに、行った先にちゃんとテレビが用意されているとは……。せっかくちがう世界のなかに身をおいているのに、いったんテレビをつけてしまうと、おいてきたはずの日常が一気に頭をもたげる。

国道58号線を歩き出して三日目。種子島での終点、島間港までを歩く予定だ。あちこち横道にそれながら歩いても、十キロほどだろう。九時に出発しても、正午までには着けるはずだ。最初から今度の旅はどこか緊張感が希薄だった。いつもなら朝食をすませるとすぐに宿を出るのに、時間をはかり、部屋でだらだらと過ごすことが多かった。この日もそうだ。
朝食をすませると宿のおやじさんが、何時ごろ出発するのかとたずねた。十時前かなと答え、そのまま部屋にもどった。なにをするというのでもない。ただ、だらだらとするだけだ。

何気なくテレビのスイッチを入れた。どの局もおきまりのワイドショーを流していた。ある局では、女優とタレントが何人かならび、離婚問題を抱えた夫婦の相談にのっていた。

「あなた仕事もせずにお家にいらっしゃるわけ?」

三流女優が物知り顔で、責めるでもなくたずねるでもなく、言葉をたれ流す。

「そういう暮らしは、海外では決して認められるものじゃないわ」

どこかの国の、もと大統領の第何婦人かしらないが、派手な衣裳とメイクで私が主役よといわんばかりに声を荒げる。

「おめえ、しっかりしろよ。男なんだから!」

プロレスラーのタレントが、妙に熱っぽく唸る。
これはショーなのだろうか。ひとの悩みもちゃんとした金もうけになるんだ。この国では。どこに行ってもほぼおなじ時間に、おなじ番組やって、時間を食いつぶす。まあ、情報に僻地はなくなったのだと考えれば、いいことかもしれないが、その地域独自の情報を伝えるということにも、もうちょっと力を入れた方がいいんじゃないかと思ってしまう。たしかにローカル局では力を入れているようだけど、中央の番組の真似ばっかりだ。放送局も、スポンサーも、視聴者も、テレビというメディアの在り方を真剣に考えていないような気がしてならない。それもこの国の現実だけれど……。

ケーブルテレビ局などではがんばっているところもあると聞く。ぼくの友人で、遠く石垣島のケーブルテレビジョンで働いていたやつがいる。彼の話などを聞くと、限られた地域のなかで大切な情報、必要な情報を中心に、地域のひとたちといっしょになって、悪戦苦闘しながら番組づくりをしているメディアの姿が浮かび上がる。そんなことは小さな放送局にしかできないのだろうか。だとすれば、全国ネットでつまらないワイドショーをたれ流す巨大メディアなんていらないのじゃないか。なんのプラスにもならない。そういうワイドショーのコメンテイターほど、声高に「知る権利」をふりまわしたり、「いやなら観なけりゃあいい」などと言い放ってしまう。お粗末の極みだ。

ぼくの場合、暮らしのなかからテレビが消えても、なにも困らない。実際にそういう生活を長くしている。
ぼくの家ではテレビが映らない。
つまらないものを観た。慌ててしたくをして宿を出た。


「種子島へ 拒めない海」2000年6月刊 再海社
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