25)2:峡の虹
 
 

また雨だ。それに風も強い。これから海岸に向かって下りていくわけだから、もっと強くなるだろう。結局三日間とも、ぐずぐずした空の下を歩くことになった。日ごろの行いの悪さがたたったのだろうか。だれも責めることができずに、ただ空を見上げるばかりだ。

ぼくの泊まった宿は、上中の町の入り口にあった。国道を南に向かうと、上中の町の真ん中で大きく右に曲がる。地図を見ると、まるで釣り針をなぞったようだ。これを反対に曲がると、茎永の集落を経て宇宙センターに続く。ぼくは右に曲がった。

雨降りのせいだろうか、町中に人影はまばらだ。時折車が通り過ぎるだけだ。中種子の野間とおなじように、日本全国の町とおなじように、大きなスーパーが店を出している。昼食のおにぎりを買うために入った。開店直後ひろい店内に、客はぼく一人だけだった。妙に居心地が悪くて、そそくさと買い物をすませて外へ出た。

気になることがあった。上中の町に入ってから、国道が見違えるようにひろくきれいになっていた。しかも、車道の両側にはひろい歩道があった。これまで五十キロ近くこの国道を歩いてきたが、両側に歩道があったのはごくわずかだけだった。ところがここはちがった。両側にゆったりとした歩道がついているのだ。

市街地を出ると、国道はいっそうひろくきれいになった。そして歩道もさらにひろくなる。
家並みが途切れると、刈り入れのすんだ、あるいは刈り入れを待つサトウキビ畑が続く。ところどころブロック塀や雑木林のような植え込みがある。その向こうには家があるはずだ。

雨は小止みになった。傘をしまってリュックにさしこむ。歩くときは両手が自由な方がいい。
雑木林の間の小さな道から、耕運機を押しておじさんが出てきた。こんにちは、と声をかけると笑顔を返してくれた。

「旅行か?」
「ええ、島間まで」

耕運機のエンジンの音がなんとなく温かい。排気口は白い煙をもくもくと吐き続けているが、強い風がすぐにかき消していく。彼の長靴はぴかぴかで、着ている作業着も、ぱりっとしてアイロンのすじが残っていた。だが、かっぱは着ていないし、傘も持っていなかった。

「これから作業ですか」

ぼくらは歩きながらしばらく話した。

「ああ、雨も上がったからな」
「もう降りませんかね」

彼は歩きながら空を見上げた。
濃淡のない単調なグレーの天を背景に、黒い雲がすじになり塊になり絵を描きながら東の方へ流れていく。

「いやあ、わからんなあ。なんとも言えん」

おじさんは困ったように笑った。

「ところで、いい道路ですね」

ぼくのことばにおじさんは道路に目をやった。
さっきから気になっていたのだが、市街地を離れてからにはまだ一台も車に出くわしていなかった。ほとんど車の通らない道路だ。

「おお、いい道路だろ。上中から島間の港までが、この国道のなかでいちばん整備されてるんだ」
「へえ……」

たしかにそのとおりだった。しかも、ひっきりなしに車の通る西之表市市街や中種子野間あたりとはちがい、交通量も少ないのだ。

「ロケットが通るんだ。この道を。だから整備が行き届いている」

そうだったんだ。ロケットは、すべて宇宙センターのなかでつくられていると思っていた。ほんとうに無知だ。

「エンジンは長崎でつくってるんだ」。

なにも知らないぼくに、おじさんは教えてくれた。

「それを島間の港に船で着けて、この道を運んでいくんだ。大きいよ」

それを聞いて、ぼくはますます島間の港が見たくなった。
しばらくするとおじさんは、現れた時とおなじような雑木林の間の小さな道に入っていった。

おじさんと別れてから道は上りになった。少し寒くなってきたから、スピードを上げてからだを温める。歩き出して一時間はたっているはずだ。道はどんどん上っていく。両側は畑から山に変わっていく。
山がそのままの姿で残っている。深い谷がある。種子島に渡ってはじめて目にする山の風景だ。見えないけれど谷の底には島間川が流れているはずだ。坂の頂上が見えた。峠だ。あそこまで行くと海が見えるかもしれない。ぼくはピッチを上げた。

道は下りになっても、しばらく海は見えなかった。海が見えたのは歩き出して二時間が過ぎたころだった。島間まであと四キロという看板が出ていたあたりだ。六キロは歩いたことになる。

前の日、一日中島の真ん中を歩いていて、海は見えなかったから、二日ぶりの海だ。やっぱりこの島が大きいということだ。海を見下ろしながら歩く。屋久島もほぼ完全な姿を見せている。晴れた日でも雲がかかって見えないことが多いのに、こんな天気の悪い日に完全な姿を見ることができるなんて。歩いてきてよかったな、という気分になった。

海は強い風に激しくあおられて荒れている。海岸のまわりには何重もの白い輪ができている。海をあおった風は、一気に坂を駆け上がってくる。風を避けるものがなにもないぼくは、まともに風とぶつかりあう。一歩を踏み出すのに、全身に力を込めなければならない。
次のコーナーを曲がりきると、一気に視界がひらけた。ぼくの目の前に海岸と海がひろがった。

「あっ」

ぼくはその日はじめて立ち止まった。
虹だ。海に虹が架かっていた。いや、屋久島と種子島をつなぐように架かっていた。ぼくはふたたびピッチを上げた。あの虹が消えないうちに海のそばまでいこう。


「種子島へ 拒めない海」2000年6月刊 再海社
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