25)3:出会いのない道
 
 

耕運機を押したおじさんと別れて、六キロ以上は歩いていたはずだ。しかし、それからはだれにも出会わないし、車も通らない。なんか、歩道を歩いているのがもったいなくなって、センターラインの上を歩いたりした。

風が強いからだろうか、畑で作業するひとの姿もない。サトウキビが強い風にあおられて、青い大きな波が押し寄せてくるように見える。たしかにこんな日に畑に入ると、風と葉っぱにもみくちゃにされるかもしれないな。

畑のまわりには背の高い細い竹を何本も連ねた、竹の壁が建てられていた。風避けだろうか、シカ避けだろうか、それとも人避けだろうか。そばまで行ってみた。細い隙間を風が通りすぎ、ぴゅうぴゅうと激しい音をたてている。風の音はこんなに大きかったんだ。

道路脇に遺跡の存在を教える案内看板があった。横峯遺跡。旧石器時代から縄文時代にかけて、およそ三万年前から七、八千年前までの遺跡だそうだ。とんでもなくながい時間、ここでひとが暮らしていたという痕跡だ。そのひとたちはどこからきて、どこへ行ったのだろうか。なにもない、だれもいない畑の真ん中に、その痕跡があるだけだ。

ところで、ぼくたちのこの国に、いちばん最初に住んだのはどんなひとたちなのだろう。この国のひとたちが日本人と呼ぶひとたちは、いつごろからこのアジアの東の端の島々を、自分のものにしたのだろう。その時、それ以前に住んでいたひとたちはどこへ行ったのだろう。すべてが日本人と呼ばれるひとたちのなかに紛れていったのだろうか。

「日本は単一民族国家だ」

そんなことをなんの躊躇もなく言い放つひとが、まだ大勢いる。この国のなかでは日本人と呼ばれるひとしか生きていくことを認めない言い方だし、「神州日本」という言い方とおなじものが根っこにある。

第一、ほかの、自分たちとはちがう大勢のひとたちとの出会いを、一切否定することになるんだ。日本人と呼ばれるひとたちは、出会いのないながい道を、独り歩いて、ここにたどりついてきたのだろうか。

「種子島へ 拒めない海」2000年6月刊 再海社
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