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  琉明関係の発展

cut_2-06.jpg琉球王国と明との関係は継続していました。それどころか、明とのつながりが琉球王国にとって欠くべからざる意義を持ちはじめたのです。

明は冊封関係を結んだ国々に、明への渡航頻度の制約を命じました。これは皇帝への進貢を何年ごとに行うかを指定することで施行したのですが、このことで明との交易を通じその益を増やしたいという周辺諸国の思惑は牽制されることになるのです。例えば安南(ベトナム)とジャワ(インドネシア)は3年に1度、日本は10年に1度といった頻度でしか渡航を許可されませんでした。

それに対し、琉球は2年に1度という、他国よりも多くの渡航機会が与えられたのです。結果、明代270年の間に行われた進貢の回数は、日本13回、朝鮮30回、シャム(タイ)73回、安南(ベトナム)89回とありますが、その中で琉球はずば抜けて多い171回を数えています。このことから琉球と明との間に、他国の追随を許さないほどの太いラインが形成されていたことを考えるのは容易でしょう。

また、明は進貢を行う国々に対し、渡航の際に使用する明の入域港をそれぞれ指定してきました。室町幕府施政下の日本は寧波(ニンポー)が、東南アジア諸国に対しては広東省の広州がその指定港となりました。そして琉球が入港を許可されたのが福建省の泉州だったのです。

泉州は福建省南部の中心都市で、海をはさんで台湾を臨む明国南部の町。明の前朝である元の時代、中国を訪れていたイタリア人マルコ・ポーロは泉州のことを世界屈指の海外貿易港であると絶賛しています。その伝統ある泉州に明の時代入港を許されたのは琉球だけでした。

このように東シナ海をはさんで浮かぶ小さな島の一つである琉球を、大国の明が優遇したことを考える理由の一つに、「馬」があります。当時の琉球には多くの馬が飼育されていました。元が倒れ明が建国されたとはいえ、まだ以前のモンゴル勢は一部の地域で勢力を保持しており、洪武帝はその勢力を平定するために軍事力を持つ必要がありました。そのために必要な馬は、明国内ではモンゴル勢の手の内にあることが多く、ひっきょう、国外から求めなければならない状況だったのです。そこで目を付けられたのが琉球であり、明は、琉球から多くの軍馬を運ばせるために、巨大な船を提供しています。

このように明の国内事情からも、琉球は大切な関係国家であって、そのことが他国と比べて琉球が優遇された大きな事由であったことが推測されます。


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