2)山は青き 水は清き
 
 

船は鹿児島市の北埠頭を出航して、錦江湾を南下していた。
天気はいい。薩摩半島側も大隅半島側も、冬だというのに山は青くきれいだった。
ぼくの好きな歌に、日本人ならほとんどのひとが知っている「故郷」という歌がある。船の窓にへばりつくようにして風景を眺めていたら、自然にこの歌を口ずさんでいた。

兎追いしかの山
小鮒釣りしかの川
夢はいまもめぐりて
わすれがたき故郷

尋常小学校唱歌(六)「故郷」 作詞・高野辰之 作曲・岡野貞一

酒を飲んだときに友だちにこの歌が好きだと話すと、きまってみんな笑う。「女々しい奴だ」とか、「古くさい奴だ」とか、「時代錯誤か」とか、いろんなことを言われる。
とくに、「ぼくは三番の歌詞が好きだ」と言うと、「あれは立身出世だけを夢見る内容だ」とか、「成績至上主義を地でいくような歌だ」とか、あげ句に「勝ち組だけが偉くて、負け組はだめだという価値観を押し付ける歌だ」と手厳しい。
そんな歌が好きな奴にろくな奴はいないというのだ。
そして決まってこう言う。

「お前も鹿児島なんかにいないで、東京にでも行って、文学賞のひとつでもとって、お偉い作家先生になったらどうだ。先生、先生と呼ばれながら暮らすのもいいもんだぞ」

ぼくが悲しい気持ちになるのは言うまでもない。
ぼくは今、生まれ育った故郷、京都から遠く離れて暮らしている。だからだろう、なつかしい家並みや山や川の風景を思い出すと、どこからかこの歌が聞こえてくるような気がするんだ。
ただ単純になつかしい風景が感じられるから好きなんだ。

こころざしをはたして
いつの日にか帰らん
山はあおき故郷
水は清き故郷

この歌がだめだというひとは、この「志をはたして いつの日にか帰らん」というところを問題にしている。立身出世を果たして、故郷に錦を飾るというやつだ。「志をはたす」というと、どうしても「出世」になり、競争社会での勝ち組をイメージするようだ。とくに良識派を自認するひとにはその傾向が強い。東京の大学、この場合はもちろん東京大学を頂点にしたランクが大切になるけれど、大学を出て一流企業に就職あるいは公務員キャリア組になる。そして中央で活躍し、時々鹿児島に戻ってくる。まあ、エリートを絵に描いたような歌に思えるのだろう。

たとえ「出世」であっても、自分の夢を実現し、親や兄弟や友人のいる故郷に錦を飾るというのはいけないことなのだろうか。ぼくにはわからないけれど。
でも、どうやら彼らのこの歌に対する非難の矛先は、実は東京が頂点という、あるいはそんな価値観をもって故郷を捨てて東京にいこうとするひとに向けられているようだ。

ある友人が吐き捨てるように言った。
「中央、地方という言い方自体が、すでに東京の価値観を押し付けようというもんだ。東京が偉い! そんな胡散臭さがたまらなくいやだ」

別の友人はこうも言った。
「東京なんて、地方出身者の集まりみたいなもんで、なにも生み出さない。消費するだけの場所だ。文化なんてない。流行をつくり出しているなんていうけれど、ものがよく売れるっていうだけだろ。消費マシーンみたいなもんだ」

こんなふうに言う友人もいた。
「優秀な人材を輩出している、供給しているという意味で、地方が東京を支えているんだ」

東京の連中は、地方を見下している。鹿児島なんて、いなかだと思っている。エリートづらしやがって。そんな感じかなあ……。
おかしなことに、これがプロ野球や、Jリーグ、大相撲などというスポーツ関係や、歌手、役者という芸能関係、そして学者、文化人というとそんなに風当たりも強くないのに、経済や政治の話になると突然色めき立つ。

東京で活躍する何人かの鹿児島出身のひとと話したことがある。
当然のことだけれど、ほとんどのひとがふたたび鹿児島に帰るつもりはなく、すでに親を東京に呼び寄せたりしていた。故郷鹿児島は、帰る場所ではなく想う場所になっていた。
帰るのはごく近しい親族の慶弔ごとがあるときだけだそうだ。やむにやまれぬ場合しか帰ってこないのだ。本人が「故郷に錦を飾る」などというのは大昔の話で、今は情報だけが伝えられる。だが、彼らにとって鹿児島は少なくとも見下す場所でもないし、また東京がいちばんだとも思っていなかった。
故郷を語るときの彼らの表情には、どことなく優しさと温かさが漂っていた。

東京に出てきた動機は、「進学」と「就職」がすべてだった。
東京での進学、就職にエリート意識などはなく、ましてや残してきたものに対して愛着はあっても優越感などはなかった。進学にしろ就職にしろ、そこに求めるものがあっただけなのだ。

「そりゃあ、生まれ育った土地だからね。遠く離れたって愛着はあります。でも、決して見下すなんて気分はない。山の色や海の色、よくおぼえています」
「若いころはいやで仕方なかったんだけどね、とんでもないいなかだって。俺ら若いもんが暮らすところじゃないって。映画だって、流行のものだってちょっと遅れて入ってきてたし。働くにしたって、遊ぶにしたって、こんなとこじゃあだめだってね」

そして東京での暮らしが、故郷の見方を変えていく。

「今はまったくそのつもりはないが、仕事の第一線を退いたあと鹿児島に帰ろうかなと考えるかもしれない」

何人かは将来Uターンする可能性についてさえ語った。
ぼくは故郷京都を出て、東京をめざさずに鹿児島にやってきた。そこに自分の求めるものがあったからだ。
そのことを鹿児島で全うしても、地位も名声も上がらないだろう。だけどぼくにとってはとても大切なことなんだ。
ぼくは京都から鹿児島という距離のひろがりを、自分自身の世界観、価値観にしたいと思っている。これからはそのひろがりに、南北六百キロという離島への距離も加わることになる。
それがぼくの強みだ。鹿児島をあとにして東京に行ったひともそうじゃないだろうか。

ぼくは、東京を中心にした価値観、この国の在り方がいいとは思わない。しかし、この国が今そうなっているのも事実だ。そのことに対して自分の視野をひろげようともせず、お国自慢の延長のような調子でそんな国の在り方を非難したり、希望に燃えて東京に向かう若者を揶揄したりするのはどうかと思う。

「子どものころは、種子島がいやでいやで、高校を卒業したら絶対に島を出るって決めていました」

出発前にF君は、種子島の話をしてそう言って、照れたように笑った。彼は島の高校を卒業するとためらうことなく東京の大学に進学した。

「都会を見てみたかったんですよ。でも、見たからといって、どうということはなかった」

島のなにがいやだったのだろう。

「なにがって……」

F君は考え込んだ。 彼が生まれ育った種子島南種子町。鉄砲を伝えたという南蛮船が漂着した門倉岬は、目と鼻の先だ。種子島の中でも、いちばん自然豊かな場所だという。

「言い換えたら『いなか』ですよね。でもね、小学生くらいまではなにもいやだとは思わなかった。自然児みたいに走りまわってましたよ。逆に大好きなくらいだった」

だが、中学校に進み次第に生活圏がひろがると、F君の目は北に向いていく。生まれ育った集落、地域からより大きな町、より大きな都市へと関心が向いていくのだ。ひとが成長する過程でまったくあたりまえのことだ。西之表市の高校へ通うようになったころ、その気分は決定的になる。

「気分から入ったかもしれない。『いなかはイヤだ』っていう。だから、大学はあたりまえのように東京だった」

大学へ行くために島を出るというのは、島の外で暮らすということを意味するのだろうか。

「ぼくの場合はそうだった。親も、帰ってきてもいい仕事はないぞって言うし。この島で生きていくとしたら、どんな道があるかってあまり深くは考えなかった。その当時はね」

彼は今、鹿児島市内で暮らし、両親も島をあとにしすぐ近くにいる。
父親は、島を出るに当たって家、耕地などをすべて処分するつもりだったという。それを、家の建っていた土地だけは手をつけずに残してくれと懇願したのは、F君だった。別に将来種子島に帰って暮らすつもりがあるのではない。

「でも、故郷なんだよね。生まれて育った場所だから……。それがそのままの形であるっていうことは、帰るとか帰らないじゃなくて、とても安心できることなんです」

あれほどいやだった島に、F君はちょくちょく帰っている。鹿児島県下、離島の市町村の広報を担当していることもあるが、種子島に出張したときには必ずと言っていいほど、生まれ育った家があった場所を訪れるという。

「別になにをするというわけでもない。その場所に立って、たばこをふかして、ぼうっとしてるだけですよ」

彼の故郷の山は青く、水は美しいにちがいない。F君の照れたような笑いを見て、ぼくは彼の生まれた場所に行ってみようと思った。
真っ青な空にそびえる深く青い開聞岳に別れを告げ、船は大隅海峡をめざす。


「種子島へ 拒めない海」2000年6月刊 再海社
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