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冬の大隅海峡は荒れる。 九州本土最南端の佐多岬からたかだか四十キロほどの距離を進むだけなのに、冬の海峡は人々にとってそれすらを試練にすることもある。 前に種子島に渡った時、海峡は四メートル以上の波で、途中で引き返すこともあるという条件付きで船は出た。結局船は、激しく動揺しながら大隅海峡を渡りきったが、はるかに見上げるような波が次々に押し寄せ、ぼくは航海中ずっとからだ中に力を入れ床に足を突っ張って座っていた。もしぼくが船長だったら、きっと引き返していたにちがいない。 だが、今度はちがった。 「快適な航海ができそうです」 船長のアナウンスが流れた。 しかし、トカラ列島に渡った時のことを思うと、今回はずいぶんと緊張感がない。 村営汽船「としま」が唯一本土との交通手段だったトカラ列島とはちがい、種子島に渡るにはいくつか選択の余地がある。 まずオーソドックスにフェリーを使う。二社が鹿児島港と西之表港をつないでいる。距離にして百十キロ余り、時間にして三時間半から四時間の航海だ。そして飛行機。これなら鹿児島、種子島間は三十五分だ。大阪からの直行便もある。最後に、ぼくが乗った高速船がある。八十キロ前後の最高速で一時間三十分の航海だ。いずれにしても便利だ。フェリーは別にしても、種子島は高速交通網にしっかり組み込まれている。日帰りだって可能なのだ。この「近さ」が、旅から緊張感を奪った第一の理由だった。 普段ならいちばん時間のかかる方法を選ぶのに、ぼくは高速船、ジェットフォイルを選んだ。こいつは昔風にいうと水中翼船だ。水中に翼だけのこして、船体は海上に持ち上げ走るという。まるで飛行機と船を足して二で割ったようなしろものだ。この選択には事情があった。実は今度の旅の最初の何日かは同行人がいて、彼らの事情でそうなったのだ。一人ではないことも、緊張感のない理由のひとつだった。 汽船であるフェリーを汽車にたとえるなら、ジェットフォイルはひかり、のぞみという超特急だ。いやジェット機と言った方がいいかもしれない。実際、ジェットフォイルの場合、チケットは「乗船券」ではなく「搭乗券」だし、シートにもシートベルトが装備されている。船体を水面から持ち上げることを「テイクオフ」、そして着水することを「ランディング」。飛行機の中で使われることばだ。 忘れもしない。トカラ列島の旅から鹿児島に戻る時、ぼくの乗っていた「としま」は、錦江湾の入り口で後ろからやってきたジェットフォイルにあっという間に追いつかれ追い越された。「ああいう品のない船には乗りたくないな」と思いながら後ろ姿と航跡を見送った。そいつにぼくは乗ったのだ。 長のことばどおり、錦江湾はいつになく凪いでいた。大隅海峡の波も二メートルから一・五メートルと、季節風に見舞われるこの時期にしては穏やかだという。船は猛スピードで波を切り、進んでいく。なにが「快適な航海」なのか、それはひとそれぞれだろう。 ぼくにとっては、天候の許すかぎり甲板に出て潮風に吹かれながら海をながめ、波に揉まれている、つまり海の上にいることを実感することこそが快適なんだ。たとえ海しか見えなくても、その表情は刻一刻と変化するように感じられる。しかし、小さな船室に詰め込まれて、ベルトでシートに縛りつけられ、じっと時間を過ごす。これはぼくにとって「快適な航海」とは感じられない。外気は感じられないし、曇った船窓を通して見る海の色はどんよりとしている。空が晴れているにもかかわらず、だ。どこまで走っても海の表情には変化がない。 なによりも会話がないんだ。すべての乗船客がおなじ方を向いて座り、おし黙っている。家族や友人同士で乗っていても、ひそひそと話す。子どもが大きな声ではしゃいだり、騒いだりしようものなら、「静かにしなさい! じっとしてなさい!」と親は叱る。これはいったい何なんだろう。 汽船の二等客室をのぞけば、まったくこの逆だ。大人たちは思い思いのスタイルで時間を過ごす。横になる者、本を読む者、おしゃべりを楽しむ者、船内を散策する者、そして酒を飲む者。子どもだって大はしゃぎだ。ひとに迷惑をかけないかぎりとがめる親も少ない。そうして船での出来事が旅の思い出のひとつになっていく。 ジェットフォイルでの航海がぼくにとってつまらないのは、この乗り物が特別にもっている雰囲気が原因ではなさそうだ。そう、ちょうど汽車の旅と新幹線の旅のちがいのようなものだ。 ぼくは国内をめぐる旅によく汽車を使う。飛行機で行けば数時間で行けるところを、汽車をつかい何日もかけて旅するということもまれではなかった。もちろん、汽車といっても蒸気機関車ではない。電気機関車かディーゼル機関車に引っ張られた列車だから、少なくとも「気車」と書くべきかもしれないが、ぼくはあえて汽車と書く。座席は固定式で二人ずつが向かい合わせになっているものが多く、ほとんどが一人旅だったぼくは見知らぬひとと同席することも頻繁だった。見知らぬ者同士四人がおなじ空間に乗り合わせても、行く先、目的などから会話がはじまり、もっている菓子や飲み物を交換したり、一時間もたてばけっこううちとけた気分になったものだ。ところが新幹線を使った旅では、そんな経験はほとんどない。うちとけるどころか、向かい合わせに座っているひとたちを探すことすらむつかしい。こんな話をすると、 「あなたは旅にノスタルジーを求めているのですね。今はそんな旅、流行らない」 というひとがいる。 数年前の一冬の間に、東北の秋田市と仙台市に行くことがあった。秋田へは日本海まわりの夜行で、仙台へは東海道、東北新幹線を乗り継いで。前者は十四時間ほどの旅、後者はその半分以下の六時間ほどだったが、ぼくにとって快適だったのは秋田への夜行列車だった。大勢のひととことばを交わし、酒を酌み交わした。夜行でなければできない経験だった。仙台へは六時間あまり、黙りっぱなしで座ったままだった。本を読むでもなく、ただ缶ビールを空け外の景色をぼうっと眺めるだけだった。 「便利」と「快適」ということばが、一般的な旅行に関してはほぼ同意語として使われているような気がしてならない。確かに、旅をあつかうテレビ番組の最後には、最も早く便利な交通機関が必ず紹介される。そういう番組は煎じ詰めていくと、旅館やホテル、土産物、交通機関などどこに金を使うべきかしか教えていないような気がする。 地図をひろげ、道程は、乗り物は、あるいは徒歩か、そして泊まりはどうしようかと悩む。そこからすでに旅の楽しみははじまっているのだ。松尾芭蕉が「奥の細道」の旅に出ようと心に決めた時、あるいは弥次さん喜多さんが東海道五十三次を京の都まで上ろうと話し合った時、どんなにかわくわくしただろうと思わないか。 船長の挨拶はいつの間にか客室乗務員の案内に変わっていた。 「快適」な航海は続き、ぼくの退屈はピークに達する。 「種子島へ 拒めない海」2000年6月刊 再海社 |
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