7)日本一の大ソテツ
 
 

ソテツという植物の名前は、ぼくのなかでなんとなくはかなく響く。
徳之島出身の茂山忠茂という詩人がいる。ぼくの大好きな詩人だ。彼の第一詩集『さたぐんま』に「みそしるのあじ」という詩がある。
七歳の女の子、アヤが日記に書いた。

「ワタシニハミソシルノアジガマダワカリマセン」

と。
詩人は言う。

いまからミソシルノアジなんて……
あの、甘く、すっぱく、辛く、女の涙がしみこんだ
みそしるのあじ

みそには、それぞれの土地のひとりひとりの女の、暮らしが、歴史が、知恵が、愛が、苦しみが、そして体臭が秘められているのだ。だから幼い女の子にはわかるはずがないと。ましてや、

物の本にもでてこない
そてつみそというのは
なおさらお前にはわかるまい

と続く。詩の後段は、奄美の過酷な歴史に刻まれた女たちの姿が、叫ぶように綴られる。そしてそてつみそをこう表現する。

奄美女の
しんそこ貧しく哀しい味がある。

だが、この味を「おいしいみそしる」だとして、幼い彼女もそれを作る日が遠からずやってくるという。

でも
七歳のアヤよ
お前には
まだみそしるのあじを
わかってほしくない。
「ワタシニハミソシルノアジガマダワカリマセン」

と詩は結ばれる。
この詩を読んだ時、ぼくにはあることが腑に落ちた。「おふくろのあじ」というやつだ。それはぼくにとって、まさにみそ汁の味だった。しかし、もう一方でうす暗い台所に立つ、哀しいまで年老いた母親の後ろ姿でもあった。決して遠足などに出かけて、青空の下で食べる弁当などではなかった。なぜそんなに哀しいイメージがつきまとうのか、自分でもよくわからないでいた。だが、この詩を読んでなるほどと思った。母親が小さなソテツの鉢植えを大切にしていたことも、イメージとして重なったのかもしれない。以来、ぼくにとってソテツはとても哀しいイメージをもった、小さな植物になってしまった。
ところが種子島には日本一の大ソテツが、しかも二本もあるというのだ。ぼくはどうしてもそれを見たいと思った。ひょっとするとソテツのイメージが変わるかもしれない。
一本は中種子町の坂井神社の境内にあった。幼稚園の園庭を思わせるような境内にぽつんと、しかし、たしかにこれがソテツか、と思わせる威容だった。いちばん高い幹は七メートルもあるという。当然のように自分の重さに耐えきれなくなりつつある。周囲を鉄の柵で囲われ、大きな幹には鉄骨で補強がいれられている。そして人目につくところに立て札が建てられている。


「種子島へ 拒めない海」2000年6月刊 再海社
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