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「種子島の全体像をつかむには、そこに行けばいいですよ」 何人かのひとにそう教えられて、ぼくは種子島総合開発センターを訪ねた。 この種子島総合開発センター、別名鉄砲館は、鉄砲とその歴史を中心に、自然、暮らし、産業などを細かに見せてくれる。鉄砲館という別名は、文字どおり鉄砲の展示が中心になっているということで、国内外の珍しい鉄砲も集められている。 ぼくはこの手の武器や兵器を主とした展示を、内外の博物館、資料館で数多く目にした。そして、いつも迷ってしまうのだ。これは文化を展示しているということなのだろうか、と。武器、兵器も美術品なのだろうか、と。たしかに、鉄砲館に展示されている鉄砲の中には、彫金などの装飾をほどこしたり、形の美しさにこだわったものが多く見られた。併せて展示されていた刀剣などは、芸術品と呼ぶにはばからない美しさだった。第一、今の時代、すでに実用性を失っているから美術品として資料館に展示されているんだ、と言うひともいるだろう。 しかし、とぼくは思ってしまう。見ていてあまり気持ちのいいものではない。実用性、用不用でいうと、たしかに不用であって、資料的な価値、美術的な価値しかないのかもしれない。だけど過去の一時期に、たしかにひとを傷つけ、あるいは殺すために使われたことは、まぎれもない事実なのだ。最初から美術品として作られた武器や兵器はない。 もし、この国に鉄砲など伝わらなければ、どんな国になっていただろう。 鉄砲が伝わる前には日本にだって、刀剣、槍、弓などという武器があった。そこに鉄砲が加わっただけだ。時代の発展じゃないかというひともいるだろう。どこの国だってそうだよ、と。 だけど、武器、兵器の歴史っていうのは、どれだけ多くのひとが傷つけられ、殺されてきたかという歴史なのだ、と、ぼくなんかは思ってしまう。 ヨーロッパを歩いたときに、多くの戦争資料館に立ち寄った。そこで見たものは、武器、兵器そしてそれを駆使した戦争というものが、いかに愚かでばかばかしいものかということだった。そこでは再現されたものであっても、真新しい軍服などほとんど見かけなかった。マネキンに着せられた軍服もほとんどなかった。ぼくがそこで見た軍服の多くは、弾痕があるものや、明らかにひとのからだから流れ出た血の跡だとわかるしみのあるものだった。それを着て倒れた若い兵士たちの苦痛に満ちた顔が、手に取るように想像できるものだった。 鉄砲というものが、戦国の乱世を統一するための、つまり平和をもたらすための道具になったという事実は否定しない。だけど、それによって多くの血が流されたことも、否定できない。博物館などの展示で大きな意味をもつのが、視覚的体験だとしたら、その両方の観点を公正に視覚に訴えるべきだと、鉄砲館の展示を構成するのにどれほどの苦労があったかなどまったく気にせずに、ぼくは思ってしまった。 一九九五年、アメリカの国立スミソニアン航空宇宙博物館でこのことを象徴するような出来事が起こった。七年をかけて準備されていた広島、長崎への原爆投下五十年にあわせた企画、投下したB29「エノラ・ゲイ」と原爆の展示が大きな議論を巻き起こした。原爆投下についても、戦争を早く終わらせ、結果として戦争犠牲者を少なくしたと正当化する意見や、投下は回避できたという意見など、さまざまな考え方がある。博物館の企画ではさまざまな意見をフェアに提示し、原爆投下の歴史的な意味を問いかけようとした。しかし、原爆投下は正しかったと主張する在郷軍人会や退役軍人団体の圧力で、原爆の被害の大きさ、悲惨さを伝える歴史的資料などの展示が大幅に縮小された。展示は結果的に「エノラ・ゲイ」の巨体を中心にした、アメリカの軍事力の誇示と原爆投下正当化の場になったとの指摘もある。一部の主張に基づいた情報が大きく扱われることで、観たひとになにが事実だったかを伝える機会が奪われたのだ。 世界的な博物館と、日本の、しかも一地方の小さな資料館をいっしょに議論してどうするんだ、と言うひともいるだろう。しかし、本質はおなじだ、とぼくは思う。 誤解のないように付け加えておくが、ぼくが鉄砲や軍服の展示を見てそんなふうに感じたのは、展示を主宰するひとたちに武器や兵器を美化する意図があったからではないと思う。彼らの思いはおそらくその逆だと思う。しかし、鉄砲などという武器は、ただ美しく展示しただけでは、そのものが本来的にもっている恐ろしい目的を伝えることはできないと、不安を感じただけなのだ。 複雑な気分で鉄砲館の中を歩いていた。そして、何気なくスタートさせたスライドの画面をぼうっと眺めていて、突然胸がかきむしられるようなシーンに出くわした。種子島の漁を紹介するコーナーだった。ぼくがボタンを押したのは、今もなお丸木舟で漁に出るおじいさんを紹介する番組だった。 八十歳を過ぎたおじいさんは、今も昔ながらの丸木舟を繰って伊勢エビ漁に出るという。夜明け前に船を漕ぎだすシーンに、彼のことばが浮かび上がる。 「丸木舟は波に強いんだ」 前日入れておいた網を引き上げる。豊漁に表情が和む。市場での風景。港で網を手入れする真剣な眼差し。仲間との談笑。さまざまな日常のシーンを重ね、年老いた漁師の一日を描いていく。昔から変わることのない種子島の漁師の風景なのだろう。夜、晩酌のシーン。漁師は昔を思い出す。 突然、瞳が曇る。南方に出征し、九死に一生を得て生還するというエピソードが登場する。ただ、丸木舟を繰って漁を続ける老漁師の一日を紹介するだけのスライドなのに……。なぜかわからないが、ぼくはそのスライドのボタンを三回も続けて押していた。 鉄砲館にはほかにもさまざまな展示がある。 「鉄砲の島 種子島」 このアピールは、ひょっとするとこの島の本当の姿をわかりにくくしているかもしれないな。外に出て建物を振り返り、そんなことを思った。 「種子島へ 拒めない海」2000年6月刊 再海社 |
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