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ぼくの好きな作家に池澤夏樹というひとがいる。 そう言えば、ハワイイが観光地であるという認識は改めるべきだろう。(これは今ぼくが住んでいる沖縄についても言えることだけれども、)ハワイイが観光地なのではなくて、ハワイイに観光地があるのだ。あの島々の大半は、騒々しくて勝手で物見高くて欲張りな短期滞在者とは無縁に生きているし、土地の方も彼らに向けて開放されているのは、ごく限定された領域である。ワイキキだけがハワイではない。 種子島は、隣にある屋久島が世界自然遺産に登録され観光で大いに売り出そうというのに引っ張られて、島全体が観光地だととらえられている節がある。たしかに鹿児島に本社をおくリゾート開発会社は、自社のリゾートホテルがある指宿、種子島、屋久島をつないで、「グリーン・トライアングル」と銘打ち観光客の誘致に躍起になっている。ぼくが種子島まで乗ってきた高速船、ジェットフォイルもその系列会社が鹿児島、指宿、種子島、屋久島をつないで就航させているのだ。だけどやはり、池澤のことばを借りるなら、種子島はもちろん屋久島だって観光地ではない。そこに観光地があるに過ぎないのだ。 だが、都会に住むひとほど、こういう離島は観光でしか成り立たない、という思いちがいをしているし、そういうひとたちにかぎって「離島=自然がそのまま残っている=いなか=癒しの島」などという妙な図式を頭に描いている。だから、またまたそんなひとたちにかぎって、島に道路ができる、海岸を埋め立てる、飛行場をつくる、工場を誘致するなどという話がもちあがると、島の状況や実状をなんら考えることなく、ましてや自分が住んでもいないのにヒステリックに「反対」を叫ぶ。どんな場合も「自然保護」が絶対に正義なのだ。そんなひとたちには、「もうちょっと島のひとたちの暮らしを見てみろよ」と言いたくなるのは、ぼくだけだろうか。 ぼくにとっても、実際に足を踏み入れる前のイメージの中の種子島は、「鉄砲とロケットの島」だった。それ以上でも以下でもなかった。つまり、ほとんどなにも知らなかったに等しい。だけどそのことが、今度の旅にとっては大きなプラスになった。なにも知らなかったぼくは、行く先々でいろんな種子島を見ることができたからだ。 サトウキビといえば、すぐに頭に浮かぶのは沖縄の島々、奄美の島々で、まっ先に種子島を思い浮かべるひとは、まずいないだろう。しかし、まぎれもなく種子島はサトウキビの島でもあった。そしてサトウキビの北限でもあるのだ。いうまでもなく、糖度は日照時間に大きくかかわる。当然種子島のサトウキビは糖度で比較すると南の島々に劣る。しかし、島のひとたちはていねいで細かな作業を積み重ねることにより質の高いサトウキビを作り、収量も多い。 鹿児島県下の琉球弧の島々で比較してみる。サトウキビの収穫面積、生産量、製糖量とも、徳之島がトップ、しかしそのあとにくるのが種子島なのだ。実際、種子島を歩いてみると、土地は可能な限り開墾され耕作地となっていて、その大半がサトウキビ畑なのだ。海岸ぎりぎりまでがそうだ。 「鉄砲の島」などというのは、歴史の話と鉄砲館の展示にしかその姿を見ることはできない。あとで書くことになるが、「ロケットの島」は南種子町に広大な宇宙センターや関連施設があるがやはりそこだけだ。だが、サトウキビは島全土で作られている。収穫面積は二、二二二ヘクタール(二二・二二平方キロ)、島の全面積に対してほぼ五パーセント。サトウキビを作っている農家の数は、あらゆる規模をふくめて二千九百八十三戸だ。正確な比較にはならないが、全島の世帯数が一万四千九百四十七だから、やはり基幹産業だ。サトウキビ生産だけではなく、製糖工場もあるし、刈り入れたサトウキビや製糖された原料糖の運搬に従事するひとたちも多い。サトウキビを抜きにして、種子島は語れないのだ。 サトウキビの収穫を手伝わせてもらった。いや、体験させてもらった。手伝いだなんて、屁のつっぱりにもならなかっただろうし、かえって足を引っ張っていたにちがいない。体力だけには自信のあるぼくにとっても、サトウキビの刈り入れはとてもきつい作業だった。はっきり言って、ぼくが今までに経験した農作業のなかで、いちばんきつかった。 サトウキビは春から夏に植え、十二月から三月にかけて刈り入れる。おおよそ十カ月の作業になるわけだ。ぼくが渡った一月末は、ちょうど刈り入れのまっ最中だった。島のあちこちで刈り入れの作業に出くわした。不思議なことにひとつの地域では、ひとつの畑しか刈り入れをしていなかった。刈り入れたものは島の中央、中種子町にある製糖工場に運ばれる。ぼくは浅はかだから、じゃんじゃん刈り取って、じゃんじゃん運べばいいのにと思っていた。だが、そんなに単純なことじゃなかったんだ。 第一に製糖工場の一日当たりのキャパシティがある。もちろん、この刈り入れの時期、工場は二十四時間フル操業になる。だいたい三トントラック四十五台分、千四百トンが限界だそうだ。 第二に運ぶためのトラックに限りがある。この時期は建設業者のトラックも総動員で運んでいるそうだが、やはり足りない。 第三は、製糖工場のサトウキビ買い入れ価格は糖度で決まる。これは工場に運ばれてきて、最初に荷台から何本かを抜き取って計る。当然何軒分かをまとめて持ち込むとややこしい話になる。だから、一台に乗せるサトウキビは、一軒の農家の刈り入れ分になる。だから農家は、トラックを割り当てられた日をめどに、一台分、つまり三トンを刈り入れるのだ。最後に、刈り入れ作業がとても大変なことだ。一部に自動刈り入れ機を導入している農家もあるが、ほんのわずかで、大半は家族総出の作業になる。共有地は集落総出の作業になるが、それ以外は自分の番がまわってくるまでしばし休憩というところだろうか。 そんなにきつい作業なのか、と聞くと、じゃあ試しにやってみたら、という話になった。で、ある農家の刈り入れの加勢に行くことにしたのだ。 快晴だった。青空の下、めざす畑は青々としていた。底冷えのする京都で生まれ育ったぼくにとっては、一月とはいえとても暖かい日だった。ぼくは軽トラックの荷台に乗り畑に向かった。遠くから見るサトウキビ畑は、まるで緑の海だった。風が吹き抜けるたびに葉っぱが揺れた。風の通り道がはっきり見えた。ぼくはなんとなくわくわくしていた。トラックが止まり、エンジンの音が消えた。さわさわと心地よい音がからだをつつむ。ほかにはなにも聞こえない。ひとがつくり出した音から開放されるというのは、とても気持ちのいいものだ。 ぼくが手伝わせてもらったのは、中種子町のNさんの畑だった。増田の高台にあるその畑からは、いくつもの大きなパラボラアンテナがならんでいるのが見えた。宇宙センターから打ち上げられたロケットを追跡する管制所だ。パラボラアンテナの群れは、サトウキビ畑の青い海の中に突然姿を現す。少し離れたところにはゴルフ場がひろがっている。ひとの手でつくり出された風景は、異様な美しさを誇らしげに見せていた。不思議な光景だった。共に七十歳を超えるNさん夫妻は、それを眺めながら農作業に精を出す。 夫妻はサトウキビだけでなく、サツマイモ、米などを作る専業農家だが、生産量は少ない。 「年寄り二人で耕せるのはしれとるからの」 ご主人はそう言って笑う。奥さんもつられて笑う。しかし、その間も手は動く。 サトウキビ畑は五反。収穫量にして四十トンほどだ。一回の刈り入れはだいたい三トン。トラックに積む一回分だ。しかし、それでも二人だと三日はかかる。すべて刈り入れるのに四カ月はかかるという。 刈り入れは、まず小さな鍬で根を切り、サトウキビを倒していくことからはじまる。地元のひとは「根を倒す」という。追いかけるようにして二股になった鎌で皮を剥いでいく。そして穂と根の部分を切り落とし、葉っぱをはらって、十二〜十五本を一束にまとめる。重ねて二カ所を藁のヒモで縛るのだ。それをトラックに積みやすいように、道路に近い場所に山積みにする。 作業はすべて地表に近いところで進んでいく。ひとは腰を曲げ、屈み、地面に相対して手を動かす。そして時折空に向かって手を突き上げるようにして腰を伸ばす。これを繰り返すのだ。このひとたちに、「この島は観光の島か」とたずねたら、どんな答えが返ってくるだろうか。そんなことを考えながら土に向かった。 「しんどいだろ?」 「休み休みやって」 夫妻は何度となくぼくに声をかけてくれた。最初は元気だったぼくも、時間がたつにつれ足も腰も腕も痛くなってどうしようもなく、なにも考えられずただ手を動かしているだけだった。どんな仕事でもそうなのだろうが、やったことのある者にしかわからないしんどさ、苦しさというのはたしかにある。だけどそのことで年を重ねてきたひとには、あたりまえのことであり、どうということのないことなのだ。 奥さんが作ってくれたおにぎりを頬張りながら、ぼくは畑を眺めた。前日までに夫妻が刈り取っていた分はすでに道路脇に積まれている。目の前の畑をぜんぶ刈り入れて、それに併せると三トンくらいになると聞いていた。だけどそこにはまだ半分以上のサトウキビが立っていた。きょうは三人だから、しかも若いひとの加勢だから早くすむと、朝、出掛けに二人は喜んでくれた。翌日が製糖工場に搬入する日だった。どうしてもその日のうちに刈り入れなればならない。期待どおりにぼくは働けているだろうか。足を引っ張ってはいないだろうか。とても不安だった。 「これをぜんぶ刈り取って、いくらくらいになるんですか?」 「そんなになりゃあせんよ」 ご主人は笑った。奥さんも笑った。 「今年は一トン当たり、二万三千円くらいかなあ」 ご主人が言うと、奥さんは微笑みながらうなずく。 「年寄り二人が生きていくには、年金もあるし、これくらいでちょうど十分なんだ」 一町歩までの農家が圧倒的に多いと聞いた。広い耕地に自動刈り入れ機を導入し、大規模にやっている農家は少ない。ほとんどがこの夫妻のように、夫婦二人で、手作業でやっている。種子島のサトウキビ生産は、そういう小さな農家に支えられている。 結局その日は日没を過ぎても作業は続き、Nさんの家にもどったのは午後九時を過ぎていた。ぼくはお風呂とご飯をいただいた。疲れたからだを焼酎が内からほぐしていく。 「うまいなあ」 ご主人が笑うと、必ず奥さんも笑う。 「やっぱ、これやっで」 ご主人はうまそうに焼酎を飲む。ほんとうにうまそうだ。 「きょうは、おおきになあ。おかげで助かった」 ご主人はそう言ってくれたが、ぼくは自分が役に立たなかったことを知っていた。ぼくの縛った束は、持ち上げようとするとすぐにほどけ、ばらばらになり、ご主人の手を煩わせていたんだ。 「いやあ、助かっただなんて、足引っ張るばっかりで……」 「いや、そら、どうでも、楽しかった。なあ」 奥さんも笑いながらうなずいた。 「子どもさんが手伝ってくれるといいのにね」 ぼくは何の気なしに言った。すると夫妻は楽しそうに笑った。 「息子は二人とも島を出て働いてる。長男は東京、次男は大阪の近く。茨木市やったか……」 「へえ、じゃあ、農業はおじさんたちで終わり? 息子さんたちは帰ってこないの」 「ああ、そうなるなあ」 だけど表情は意外に明るかった。 「帰ってきても、わずかばかりの耕地ではなあ。年寄りが生きていく分にはなんとか……。けど、若いもんは兼業でないとな。それにゃあ仕事がないわ」 夫妻は、働けるまで働くだけだと、ふたたび笑った。そのあとはどうするのときいた。 「上の息子がいっしょに住もうと言ってくれてる。東京に行くよ。小さい土地だけど、ひとに貸すか、売るか、まあなんとでもするよ」 やはり奥さんは微笑みながらうなずいている。 「種子島は観光地だ、観光の島だっていうひとがいるけど……」 そうたずねると、ご主人は大声で笑って言った。 「わしらちょっとしか土地はもっちょらんけど、ここはぜんぶ百姓の島やっで」 一日サトウキビの刈り入れに汗を流して、ぼくはこの島の姿がようやく見えてきたような気がしていた。それはNさん夫妻をすぐそばで見ていて、こうやって黙々と働いているひとたちがこの島を支えているんだと確信したからだ。 「百姓の島や」という気持ちが痛いほどわかるような気がした。 だけどこの夫妻がロケットや、鉄砲や、リゾートホテルほどの脚光が当たらないのも事実だろう。そして夫妻が、この島に住み続けられないことも、また事実だった。 焼酎が急に苦くなったような気がした。その日、ぼくはNさんと夜を徹して飲んだ。傍らで奥さんは、ぼくたちの話ににこやかに耳を傾けていた。 「種子島へ 拒めない海」2000年6月刊 再海社 |
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