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「サトウキビ畑で刈り入れをしてるのは、わしらみたいな歳とった夫婦ばっかりですよ」 刈り入れの手をとめて腰をおろし、一服していた老人に聞いた。 「悪循環だなあ」 老農夫は深いためいきをついた。 二人分の年金をあわせてどうにか暮らしは成り立っている。が、良くも悪くもならない。上を見ればきりがないから、まあ、こんなもんだろうと納得している。だからなんとかからだが動くあいだは、と思って精を出しているんだと彼は笑った。動かなくなったら、代を継いできたこの夫婦の農業は終わるのだ。 奥さんも手をとめて腰をおろした。 「仕事、つらいですか?」 そうたずねると、彼女は声を上げて笑った。そしてこう言った。 「いつも父ちゃんと二人で幸せだあ」 ほかにはだれもいない畑のまん中で、三人の笑い声がひろがった。 「若いひとには、魅力ないんですか。サトウキビ?」 笑いがおさまったところで、老農夫に聞いた。 「せっかく土地があるんだから、兼業でもなんでも続けたらいいのに」 この三百万という数字は、前にF君から聞かされていたものだった。 「三百万くらい収入があれば、サトウキビ農家を継いでもいいという若者はいますよ」 彼は笑ってそう言った。そこには、もしそうなら自分もサトウキビ農家として、種子島で暮らしているという意味もふくまれていた。ぼくはF君の個人的な、これくらいはほしいという気持ちが、強く反映されたことばだと思っていた。だが、これは島の小さなサトウキビ農家の共通の思いらしい。もちろんこれは出荷価格ではない、最終的な収入としてだ。面積でいうと少なくとも三町以上、収量で二百五十トン以上が必要だという。老農夫夫婦の十倍ほどの土地と収量が必要になるのだ。自分の代でサトウキビ農家は終わるという夫婦のことばは、どうしようもないことなんだ。遅かれ早かれ小さな専業農家は、消えていく運命にあるのかもしれない。耕されなくなった土地は、少しでも規模を大きくしようという農家に貸し出される。 大きい者はさらに大きくなり、小さい者は消えていく。場所、産業を問わず、これは仕方のないことなのだろうか。 その夜、あるサトウキビ農家を訪ねた。 役場に勤めるかたわら、五反あまりのサトウキビを作り続けている、いわゆる兼業農家だ。 ぼくだけではないと思うが、「農家」ということばを聞くと、まず建物を思い浮かべる。大小の規模はあるが、土塀かその地方独特の生け垣をめぐらせた敷地に母屋、納屋、仕事場などが建てられ、風景自体はとてもいなかっぽいというイメージだ。次に登場人物でいうと、主人は作業着に長靴、そして農機具メーカーのロゴの入った帽子をかぶる。首には手ぬぐいをまく。妻はモンペをはき、手ぬぐいかタオルで姉さんかぶりをする。そんな感じではないだろうか。たしかにそういった農家は少なくはないが、都市で育った者の愚かな思いこみであり、勝手な決め付けだ。その夜、ぼくは自分の浅はかさを思い知らされた。 表通りから外れて細い道を行く。両側には膝あたりまでの低い生け垣が続く。その先にはきっと立派な農家が建っていると思っていた。が、そんなものはどこにも見あたらない。あったのは鮮やかな緑の芝生の上に建つ、白いモダンな家だった。淡い照明でライトアップされた風景は、まるで洋画のワンシーンのようだった。 玄関で迎えてくれた奥さんは、スーツをぴしっと着こなしていた。ぼくなんかの来訪に、ちょっと大袈裟な感じだ。外観だけでなく、中に入ってもその建物はモダンだった。ほんものの漆喰だろうか、白い壁に褐色の梁。家具でわずかに仕切っただけの広々とした空間。リビングスペースのまん中で存在感を漂わせる分厚いイヌマキのテーブル。何気なくおかれたフォトスタンドや置物。どう表現したらいいんだろう。インテリア雑誌から抜け出したような空間だった。ご主人も昼間役場で会った時とはまったくちがう、カジュアルだけどお洒落な身繕いだった。 リビングで紅茶を飲みながら、いろいろと話を聞かせてもらった。 種子島にもどること、兼業ではあるがサトウキビ農家として働くこと。それらのことについて、奥さんが賛成だったのか、反対だったのか、ついに夫婦の口からは聞くことはなかった。 「すごいお家ですよね。なんか、どこにいるのかわからない」 どうやら彼は、ぼくのそのひと言を待ちかまえていたようだった。 「うん。なんだか農家は農家らしくっていうの、いやなんです。私も妻も」 農家は農家らしくというのは、どうもぼくがもっていた、いや都市から見た農家のイメージらしい。夫婦とも都市で暮らした経歴をもつ二人が、都市から見た農家のイメージを嫌うのは当然の話だ。しかも奥さんは農家の出身ではない。農家に嫁ぐにしても、農家のイメージに染まる必要なんてないのだ。自分たちで新しい農家のイメージ、農家の暮らしのスタイルをつくっていけばいい、そう考えたのかもしれない。 刈り入れでその日も一日中畑に出ていたという。だが、二人には農作業の名残など微塵もなかった。畑と家とはまったく別の世界になっているのだろうか。 「だって、ほら、アメリカの農夫って、かっこいいじゃない」 ご主人が笑いながら言った。 「オーバーオールのジーンズにブーツとか、カウボーイハットとか、皮の手袋とか、ね」 農作業には二人ともそういうスタイルで出かけるのかもしれない。 「犬も連れて行くし、お茶ももって行く。ラジカセももって行って、好きな音楽をかけながら仕事をするの」 二人はとても楽しそうに野良仕事のことを話す。 「でも、そうやってスーツ姿で座ってられると、畑に出て仕事をしてるなんて、想像できないですよね」 ぼくがそう言うと、奥さんは恥ずかしそうにうつむいた。 「彼女はねえ」 助け船を出すようにご主人が言う。 「絶対と言っていいほど、ひとに畑仕事をしている姿を見せないんですよ」 奥さんは黙ってうなずく。ご主人がことばをつなぐ。 「ええ。家にいるときは、どんなに朝早くても、どんなに遅くてもずっとスーツです」 なんとなくスタイルだけじゃないな。ぼくは、彼女がこの暮らしをとても大切にしたいと思っている、と感じた。畑で汗を流す彼女も、家でスーツを身にまとった彼女も、どちらもほんとうの彼女なのだ。でも、畑での姿を他人には絶対に見せないということが、彼女の価値観なのだ。農業を卑下しているわけではない。恥ずかしいと思っているわけでもない。農家出身でない彼女が、夫に教えられて農作業をこなしていく姿は、とても美しいにちがいないとさえ思った。だが、彼女は見せないのだ。ひょっとすると、農業のイメージを変えてしまおうと思っているのかもしれないな。 この夫婦にとって、農業は重労働だけれども決してつらいものではないようだ。この暮らしぶりを見せれば、農業をやりたいと思う若いひとも増えるはずだ。農業のイメージ、とくにサトウキビ農家のイメージも変わり、憧れをもつ者さえ現れるにちがいない。 ご主人がステレオをつけた。懐かしいロック、ポップスのヒット曲が次々に流れた。 「昔、ずっと聴いていた曲です。今も好きで、このテープは自分で編集したんですよ」 ぼくにも聞き覚えのある六十年代、七十年代のヒット曲だ。 「明るい農業」。二人をひと言で言い表すとしたら、これがいいだろう。 小さなフォトスタンドが目に付いた。小学生くらいだろうか、男の子が二人、ならんで写っている。 「ああ、息子たちですよ。小学生の時だ」 ご主人がぼくの視線に気づいた。 「今は二人とも島を離れてます。学校でね」 一瞬、夫婦は目を見合わせた。 「なんとも言えないですよね。やるって言ってくれればいいかなって思うときもあるけれど、強制はできないですよ」 仕方ないなと言いながら、夫婦はふたたび顔を見合わせたまま笑った。 「種子島へ 拒めない海」2000年6月刊 再海社 |
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