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歩き疲れたからだをもてあまし、眠いのに眠れなかった。 第一に安い。第二にその土地でしか食べられない味に出会える。そして、地元のひとと気軽にことばを交わせるのがいい。それに、これまでに何度かはスナックとかバーというネオンに誘われて入ってはみたものの、カラオケや大声でのばか騒ぎに疲れはてて店を出るというのがおきまりだった。酒を一杯だけ。肴もなくていい。塩があれば十分。長居はしない。旅先ではそれだけで宿にもどりぐっすり眠る。そんな店を探して歩いた。 しかし、午後十一時をまわって、南種子の町にまだ開いている居酒屋はなかった。あきらめきれずに歩いていると、何軒かのスナックが肩を並べている交差点にたどりついた。一軒ずつドアの前に立つ。店内からカラオケの音がこぼれてくる。中で聞くとそうでもないのだろうが、外にこぼれてくる音は、伴奏と歌声がはっきり分かれている。声の主が酔っ払っているかどうかは、だれが聴いてもわかるだろう。そんな店に一人で入れば疲れるだけだ。 何軒めかで、ようやく静まり返った店があった。もう閉店したのかと看板を見上げると、明々と灯がついていた。まあ、いいか。ぼくは小さなドアをゆっくり押し開けた。 店内は思っていたよりも明るかった。ドアの大きさからすると意外なほど広く感じられた。先客は一人だけ。若い男性がカウンターで背中を丸めている。カウンターの中には若い女性が四人。しかし、こういう店でよく見かける必要以上に短いスカートや、からだのラインを強調する服を着た者はいない。 一人だと告げるとカウンターの席をすすめられた。バックバーにはウイスキー、スコッチ、バーボン、ブランデーのほか、さまざまな酒がならべられていた。驚いたことに、見えるところに焼酎の瓶はなかった。オーナーのセンスだろうか、この女性たちのセンスだろうか。いずれにしても、国内を旅していて地方の小さな町では出会ったことのないような店だった。なんとなく都会の、しかも趣味のいいバーに入り込んだような、そんな気分だった。 バーボンのロックを頼んだ。グラスを置いた女性がそのまま目の前に立っている。赤いフリースのプルオーバーにブルージーンズが、よく似合っていた。 「ぼくはかまわなくていいから」 そんな歳ではないだろうが、見知らぬ女性と向き合っているのは、なんとなく照れくさいものだ。酒の味もわからなくなる。 「あら、だってお仕事ですもの」 彼女はケラケラと笑った。そうだな。彼女にとっては仕事だ。どんないやな客がきたって、きっとにこやかに接することだろう。照れるなんていうのも、自意識過剰なのかもしれない。ぼくは自嘲して、ためいきといっしょに、ふっと笑ってしまった。 「お仕事ですか? 旅行?」 たばこをくわえると、すかさずライターの火を差し出した。それを辞退し、自分のライターで火をつけた。 「うん、まあ……」 「ロケット関係?」 「いいや、ちょっと、ぶらっと旅行……」 「へえ、こんな時期に珍しいですよね。旅行って」 彼女はふたたび笑った。その表情がなんとも愛くるしい。やっと二十歳になったばかりじゃないだろうか。ながくあっていないが、離れて暮らしている娘も、きっとこんな感じになっているのだろう。表情にも仕草にも、どことなくあどけなさが残っている。見た目と「お仕事ですもの」という口調がアンバランスで、彼女はいったいどんな暮らしをしているのだろうと思ってしまった。そんなことを考えていると、ずいぶん歳をとったなあという気分になった。 「カラパナやねえ」 入った時から気になっていたが、この店の音楽はどうやらハワイアンで決めているらしい。たまたまその日がそうだったのかもしれないが。 「あら、関西のひとですか」 ぼくの問いに答えずに、彼女はまた笑った。 「この店にも関西のひと、多いですよ。お客さんも、店の者も。ちなみに私は東京だけど」 「お客さん、音楽、わかる?」 離れて立っていた年長の女性が、目の前の彼女の隣にきた。 「うん、まあね。昔、よく聴いたから。まえにかかってたのがマカハ・サンズ・オブ・ニイハウ」 友だちにサーファーがいた。明けても暮れても波に乗っていた。京都市内にサーフショップを開き、暇があればボード一枚を担いでアメリカ西海岸、ハワイ、東南アジア、オーストラリアへ出かけた。ぼくが陸のヒッピーなら、彼は海のヒッピーだった。いつの間にかプロのサーファーになり、国内はもとより、海外の競技会でも入賞を果たした。ハワイアンとサーフ・ロックは、その彼に教わった。何度かいっしょに海に行ったが、車の中で必ず聴いていた。 「サーフィンなんかでメシが食えるか!」 仲間からはそう揶揄されていた。ぼくが「小説なんかでメシが食えるか」と言われていたのとおなじように。しかし、彼はサーフィンでメシを食った。彼のまわりだけゆっくりと時間が流れているようだった。若いサーファーたちの憧れだったが、ぼくの憧れでもあった。だが、五年ほど前、死んでしまった。交通事故だ。「日本の道路は映画のコマ落としみたいで、俺は自分で運転したくない」と言っていたのに、猛スピードで分離帯に激突したんだ。きっと大好きな音楽を聴きながら逝ったにちがいないだろう。だから、ぼくはあいつに教えてもらった音楽は、絶対に忘れない。 「ここは、サーファーの集まる店?」 「いいえ、そうでもないけど、たまたまアルバイトがサーファーが多いから」 年長の女性もどうやら島のひとではないらしい。 「あなたもそうなの?」 「ええ、まあね」 彼女の話によると、この島は絶好のポイントがあちこちにあって、東京や関西からやってきたサーファーは多いという。一年の何日かをこの島で過ごすうちに、住み着いた者も少なくない。はじめてきたときには三日で帰っても、次には一週間、十日と延び、しまいには住み着いてしまう。 「物価が安いのよ。第一家賃がぜんぜんちがうもん。それにさあ、なんていうか、時間がゆっくりなのよ。島って」 「ひともいいよね。都会だとサーファーっていうと、なんか化石になったファッションで、非行の集まりだって思ってるひともいるしイ。でもここだと、なんか、受け入れられてるって感じ」 「海のことばっかり考えてられるでしょ。どっち向いても海だ」 いつのまにか店中サーフィンの話で持ちきりになっていた。 翌日彼女たちが連れていってくれたのは、東海岸の鉄兵海岸というビーチだった。古い箱バンを三台連ねて行った。男女取り交ぜて総勢十人ほどの一行だ。砂鉄を含んだ砂浜は大理石のような縞模様が浮かび上がり、とてもきれいだ。天気は上々。海は穏やかで、思ったよりも波は低い。波間にはすでに数人のサーファーが浮かんでいた。着くやいなや、みんなウェットスーツに着替え、先を争うように海に入っていく。さすがにサーフィンをするために種子島に移住してきた若者たちだ。低い波にもかかわらず、たくみに波に乗る。そしてふたたびボードに腹ばいになり沖に向かってパドリングする。それを延々と繰り返すのだ。 ぼくは海と彼らを眺めながら、ゆっくりと流れる時間を感じていた。 「なにを言ってもだめです。いったん海に入ると」 振り返ると年長の彼女の彼が、缶ビールを二本持って立っていた。 「ちょっと寒いけど飲みます?」 「あなたは海に入らないの?」 ぼくはビールを受け取りながらたずねた。 「ええ、ぼくはしません。きょうは仕事、休みだったから……」 「じゃあ、彼女とはこっちで知り合ったんだ」 「いいえ、いっしょに川崎からきました。神奈川の」 ぼくは少し驚いた。 「彼女に引っ張られてきたの? 向こうでは仕事もあったんでしょう」 「うん、まあね……」 彼が言うように冬の海辺で飲むビールは、とても冷たかった。彼は決して海にいる彼女から目を離そうとしなかった。 「もう、ずっとこの島で暮らしていくつもり?」 「ええ。二人とも好きなんです。ここ」 そのあと彼は黙り込んでしまった。ぼくがつまらないことを訊くので、気分を害したのかと思ったが、そうではなさそうだった。波の上の彼女をにこやかに眺め、ぼくのビールが空くと新しい缶を手渡してくれる。その時間をとても楽しんでいるというふうだった。波の音と風の音しか聞こえない。何時間も、何時間もそのままだった。 「いいでしょ、この海」 「うん?」 ようやく彼が口を開いた。 「ぼくたち、ここで、ゆっくり歳とっていきますよ」 波に乗り損ねた彼女の姿が海の中に消えた。乗り手を失ったボードがゆっくりと空に舞い上がる。心地のいいスローモーションだった。 死んだあいつがサーフィンを選んだ理由が、なんとなくわかった。 「種子島へ 拒めない海」2000年6月刊 再海社 |
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