22)ふたたび海をめぐる 1:米の故郷
 
 

竹崎から南端門倉岬までは、緩やかな海岸線が続いている。
道は海岸に沿うようにのびている。門倉に向かって進むぼくにとっては、右側がなだらかな山、左側に田園、そしてその向こうに海がある。島中を歩いていて、はじめて目にする水田がひろがる。このあたりはサトウキビよりも、やはり米なんだ。

茎永とよばれる地区は、日本一早いコシヒカリの産地として有名なのだ。三月の末には田植えがはじまるというから、早場米のなかでもいちばん早い。田植えにはまだ少し早かったが、田園の風景は島のほかの場所とはぜんぜんちがう。水田はきれいに区画整理されている。整然とした風景だ。
米と種子島との関係は古くて深い。茎永の西に宝満神社があり、宝満の池がある。池は道路から見ることができるが、山と山の間の小さな谷間に鏡をおいたような、小さいが美しい池だ。この池も、宝満神社の神域として、信仰の対象となっている。神社には古来から、古代米といわれる赤米の栽培が伝えられている。ちょっとした健康食として、あるいは考古ブームにものって注目を集めている赤米だが、ここではブームに関係なくずっと作り続けられている。茎永という地名も、その茎がほかの米の茎よりも長かったことに由来するという。

おなじように、対馬や岡山の神社にも古くから赤米が伝えられているそうだが、それは中国東岸や朝鮮半島経由で大陸からもたらされた品種で、茎永の赤米は東南アジアからフィリピン、台湾、そして琉球弧を経由してもたらされた可能性が高いということだ。ということは、インギー鶏とおなじように、この目の前の前之浜から上陸したのだろうか。いずれにせよ、宝満神社の赤米はここだけにしかないものなんだ。

この蘊蓄は宝満神社と道路をはさんで建つ、「たねがしま赤米館」で得たものだ。ほんとうに小さな資料館だが、古い農機具、模型や映像をうまく使って、稲と赤米、そして種子島、南種子の米作りのことなどをていねいに、わかりやすく紹介している。

ただ、ぼくはいつも思うことだが、こういう資料館にはどうして「マイナスの展示」がないのだろう。いいことばかりではないと思うのだ。米作や農業を取り巻く厳しい環境についても、きちんと展示すべきではないだろうか。たとえば西之表の鉄砲館なら、鋏鍛冶の仕事場の復元までしているのだから、後継者難など今まさに頭を悩ませている問題にもちゃんと光をあてるべきではないだろうか。中種子の歴史民俗資料館なら、黒糖、サトウキビ生産を取り巻く環境をデータで展示すると、より深まるのではないだろうか。

そんなことを思いながら、カウンターで赤米館のリーフレットとポストカードをもらった。いっしょにならべられていた「みなみたね物語」(南種子町地名研究会編)という冊子を手にとって、ぱらぱらとめくった。南種子町に伝わる民話や、各地区に残るさまざまなエピソードが載せられている。あるページに目がとまった。

明治・大正・昭和・平成米価暦 米俵(六十閨j生産者価格表

明治元年から平成十一年までの生産者米価の変遷が、その年の大きな事件といっしょに載せられていた。太平洋戦争終戦まで、上がったり下がったり、けっこう変動していた生産者米価は、戦後は昭和六十一年まで一貫して上がり続けるが、六十二年からは下がり続ける。

F君が言っていたことを思い出した。
「種子島は農業の島だっていっても、サトウキビも米もけっこう厳しいですよ。大規模な米作が可能なわけじゃないでしょ。土地も限られてるし。専業で大きくやっている農家は少ないですよ。日本一早いコシヒカリって、それだけでちょっと前まではけっこう売れたんですけどね。今じゃどこも早いから……」

生産者米価の漸減は、小さな農家にとって、より厳しいようだ。業を煮やした南種子の農家はついに蜂起し、独立した……、とはならない。農家は従順だ。
グローバリゼーションの時代だという。地球規模で政治、経済、文化のボーダーがなくなりつつあるというのだ。そしてそれは新しい世紀にふさわしい、歓迎すべきことだとも。だけど、それは先進資本主義国による資本と利権の引っ張り合いと、発展途上国の収奪に過ぎないと、ぼくなんかは思ってしまう。

それは国内でもそうだ。工業製品の貿易では徹底的に争うくせに、そのアドバンテージを守るために、この国の指導者たちは平気で農産物を生け贄にしてきた。工業製品の分野でも大きな資本は守り、小さな資本は切り捨てる。グローバリゼーションとは、実は、大資本による世界規模の収奪なんじゃないだろうか。国家というのはその利益を代表しているにすぎない。
国際競争力。この国で働くひとは、呪縛のようにこのことばに支配されている。しかし、この島のひとたちはそんなことに関係なく、サトウキビも米も作り続けるだろう。

「だが、国内生産者保護のために補助金が支払われたり、けっこうな金が遣われている。国際競争力のなさを物語っているじゃないか」

そんな声が聞こえてくる。今、農家や酪農畜産農家の保護のために遣われている金は、これまでのこの国の指導者たちの失政のツケなんだ。
ちなみに南種子の宿で、赤米の炊き込みご飯を食べてみた。赤くて細長いご飯つぶは、歯ごたえもしっかりしていて、かめばかむほど甘くうまくなっていく。ここでしか味わえない味だ。


「種子島へ 拒めない海」2000年6月刊 再海社
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