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国道58号線は、鹿児島市の西郷隆盛銅像前を起点にして種子島、奄美大島そして沖縄島名護市を終点にする一級国道だ。総延長は八七三・五キロと、国道の中でいちばん長い。が、実はそのうちの六〇九・五キロは海上なのだ。ぼくは今度の旅で、いや、これから続くであろう琉球弧の島を訪ねる旅で、この58号線をつぶさに歩いてみようと考えている。それは陸の道だけではなく、海上の道も含めてだ。 まず、鹿児島市から種子島に渡り、西之表市から南種子町島間までを歩く。島間からフェリーで屋久島宮之浦港に渡る。屋久島を歩いたあと、宮之浦港から漁船でトカラ列島の口之島に渡してもらう。そこで村営フェリー「としま」に乗り換え、中之島、平島、諏訪之瀬島、悪石島、小宝島、宝島を経由し、奄美大島に渡る。北端までもどり、国道58号線を南下する。 名瀬を経て瀬戸内を渡り加計呂麻島に着く。そこまからまた船で、請島、与路島、徳之島、沖永良部島、与論島と渡り、最後に沖縄島にたどりつく。柳田國男流にいうと「海上の道」、古来からの呼び名でいうと「道の島」を逆にたどるのだ。ぼくはこの道をくまなく歩いてみようと思っている。沖縄、名護市までで八百キロ以上の旅になる。そのあと、さらに八重山諸島を経て台湾、中国大陸にまで足をのばすかもしれない。そこまで何年かかるかわからない。しかし、ゆっくりと確実に歩いていきたいと思っている。 ■廃仏毀釈 宿を出てすぐに、その日まで同行していたF君を港までおくる。そして荷物の大半は手荷物預かり所に預け、三日間必要な荷物だけを背負って歩くのだ。 手荷物預かり所で観光案内を兼ねた島の地図を一枚もらった。いつものことだが、ぼくは旅に出る前にあらかじめ資料を集めたり、本を読んだりしない。予備知識をもたずに、からだひとつでただその場所へ行くだけだ。なぜなら、ぼくは歴史をひもとくわけでもないし、文化を研究しに行くわけでもない。そこにあるあらゆるものと、なんの先入観もなしに触れあう。それが目的なのだから。 「ほんとうに歩くんですか?」 F君が心配そうにたずねる。 「もちろん、ほれ」 ぼくは自分の足元を指さした。昨日までのスニーカーではなく、いかついトレッキングシューズに履きかえていたのだ。 「おっ、やるき満々ですねえ」 F君はうれしそうに笑った。 「でもね、年なんですから、あんまり無理しないでくださいよ。きつくなったらバスに乗ってくださいよ。自由乗車だから、どこでも停まってくれますからね」 そうだ。本数は少ないけど、バスだって走っている、いざとなったらヒッチハイクだってできる。そんな思いが緊張感を消していく。 港に着くとF君が乗る船はまだ入っていなかった。が、ぼくはすぐに彼に背中を向けた。そして歩行の一歩目を踏み出した。時計は午前九時をさしていた。 風は強いが天気は晴れ。しかし、ずっと南西の空には黒い雲がひろがっていた。風におされてこの島に近づいてくる。野間に着くのはおそらく午後五時くらいだろう。途中で雨に降られるかもしれない。傘はないが、三百円で買ったビニールのかっぱがリュックの中に入っていた。歩き出したらたどりつくまで歩き続けるしかない。雨に煙る海の眺めもいいかもしれない。 港に沿って少し北に向かって歩く。国道58号線の西之表市の起点に立つためだ。だが、そこにはそのことを示すものはなにもなかった。それは自分の中だけでの確認だった。さあ、歩くぞ。 しかし十歩と歩かないうちに、ぼくは立ち止まった。「慈遠寺跡」という看板が目にとまったのだ。しかし、目の前にあったのは大きな鳥居だった。境内に入ってみる。たしかに神社だ。八幡神社そしてその脇に八坂神社という大小ふたつの社が建っていた。 案内の看板を見た。慈遠寺は、大同四年(八〇九)奈良興福寺の末寺として創建されたというから、京都とおなじほどの歴史をもっていたはずだ。律宗の寺院で、もちろん種子島最古、南島随一の規模を誇っていたという。その寺は創建後七百年近くたって律宗から法華宗に改宗する。島を統治していた種子島家の意向だ。そしてさらに四百年たった明治維新。寺は廃仏毀釈の嵐に見舞われる。寺は消えてなくなってしまった。 明治維新の夜明けの嵐、廃仏毀釈の狂風が吹き荒れる中、明治初年(一八六八)一朝にして焼き討ちされ廃寺となる たった二行の説明だが、それを読んでぼくは立ち尽くしてしまった。 京都で生まれて、たくさんの寺院を見て育ったぼくは、廃仏毀釈のほんとうの姿を鹿児島に移るまで知らなかった。京都では古くからの寺がそのまま残っているのだ。だが、ぼくは鹿児島で古くからある寺を知らない。住まいのすぐ近くに大きな寺の跡がある。島津家の墓があり、由緒も歴史もあるかなり立派な寺院だったようだ。しかし、今は墓所だけが残り、跡地は高校になっている。明治維新の担い手となった鹿児島だ。当然のことかもしれない。だが、それが終戦まで続く国家神道による支配のはじまりなのだ。ぼくたちはそこでなにが起こっていたか、この国がどうなったかよく知っている。廃仏毀釈の狂風は明治初年のころに吹いていたのではなく、その後七十年以上も吹き荒れていたのだ。 風が一段と強くなったように思えた。 「種子島へ 拒めない海」2000年6月刊 再海社 |
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