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雨だ。 この宿は「ホテル」と名乗っているが、都会にあるホテルを思い描いてはだめだ。まあ、いってみれば旅館を洋風にして、畳の部屋を洋室にしてベッドを置いた、ということだ。だからだめだと言っているのではない。ちゃんとバス、トイレも各室についているし、有料でアダルトビデオが観られるテレビも備えられている。家族で経営していることもあり、もてなしはとても気さくで、自分の家に迎え入れているといった感じだ。 なによりもうれしかったのは、出てきた料理がどれもぜんぶ温かいものは温かく、冷たいものは冷たく、きちっとタイミングを見はからって運ばれてくることだ。あとはぼくが自分で口に運び、ゆっくりと味わうだけだ。おいしかった。 温かいものは温かく、冷たいものは冷たく、なんていうのはあたりまえのことだけれど、とくにお金をとって食事をだす旅館やホテルにとっては基本だと思うけど、冷めた煮物や焼き物、温かくなった酢の物なんていうのを平気で運んでくる宿は、けっこう多い。面倒くさいんだね、きっと。客、一人ひとりの顔を見てから運んでくるのがね。最初っからテーブルにならべる宿もある。ひどいのは、「夕食のお時間は?」ってわざわざ聞いておいて、かなり前からならべておく宿もある。効率よく仕事をするっていうのと、ちゃんとサービスするっていうことがよくわかってないんだ。最低だね。そういう宿にはなにを言っても通じない。だからぼくは、宿以外に食事をする店がないという場合は仕方ないけれど、ほとんど近くの食堂や居酒屋ですませる。ぼくの経験からいうと、どうしようもない宿ほど高いし、威張っているし、一流志向だし、ぜんぜん居心地が悪い。そういう宿には二度と行きたくないし、友だちにも「いってはだめだ」と忠告してしまう。 だけどここは最高だった。でも、ちょっと後悔した。部屋が空いてると聞いた瞬間、値段も聞かずに泊まることにしたんだ。もちろん食事も。だから、朝、チェックアウトするときは、どきどきものだった。一泊二食つき。料理のボリュームも味もいうことはなかった。八千円くらいだろうか。貧乏旅行のぼくにとってはちょっと贅沢な金額だ。それに生ビールを二杯飲んでいる。へたをすると一万円コースかもしれない。 二日目の距離は十六キロだ。あちこち寄り道しても二十キロくらいだろう。一日目の三分の二だ。それだけでも気持ちは少し軽くなる。午前九時にならないと開かない、この町の歴史民俗資料館に行きたいというのもあったので、九時前まで部屋でごろごろしていた。そのうちに雨も上がればいいなあと、思ったりもしていた。だが、雨は上がらなかった。 おそるおそるチェックアウトした。が、すべてひっくるめて六千五百円だった。お人好しのぼくはついつい、 「あの、生ビール二杯飲みましたけど……」 と自己申告してしまった。 「はいはい、ちゃんとついてますよ」 おばさんが笑う。 「ありがとうございます」 そう言ったのは、お金をもらったおばさんではなく、払ったぼくの方だった。 「あのう、すみません。傘を貸していただけないでしょうか。必ず返しにきますから」 このおばさんなら甘えてもいいかなと、こそっと頼んでみた。 「いいよ。そこにあるのどれでも持っていって」 おばさんは笑いながら玄関の傘立てを指さした。 「返しにこなくていいから、わざわざ。そのまま持っていっていいよ」 おばさんはぼくが驚くような大声で言った。いや、叫んだ。食堂のかたづけをしていた宿のひとたちが集まってくる。 「歩いてなにするの? バスに乗るお金がないの?」 おばさんは呆れたような顔でぼくをじっと見た。 「でもまあ、気をつけて行きなさいよ」 なんだか母親に諭されているような、妙な気分になった。 「すみません、傘、必ず返しにきますから」 ぼくは、傘を一本傘立てから抜き取って、おばさんにむかって頭を下げた。 「ええ、ええ、そうしなさい。元気で気をつけていってらっしゃい。またおいでね」 ほんとうに母親としゃべっているみたいだ。ぼくが旅に出るときは必ずおなじように言ってくれた。今ごろ母さんはなにをしているだろうかと思った。もう二年以上、電話では話すが、顔を見ていない。 「種子島へ 拒めない海」2000年6月刊 再海社 |
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