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市街地を出てから一時間、まっすぐな長い下り坂だ。南種子一帯が見渡せた。宇宙センターのロケット発射台が小さく見えている。相当な距離があるのに見えているということは、かなり大きな建物だということだ。のどかな田園風景の中に突然現れる巨大な建造物。宇宙開発にこの種子島の浮沈がかかっているというようなことを言うひとがいるが、どうしてあんな味気ない建造物に未来の象徴を求めるんだろう。目の前にひろがる青々としたサトウキビ畑には可能性は求められないのだろうか。 坂を下りきると車の墓場があった。道路沿いの空き地に廃車になった車がうず高く積み上げられていた。この車たちはこの先、どうなるのだろう。ひとはなにに対してもそうだけれど、いらなくなればなんでも簡単に、あたりまえのように捨てる。この国のひとたちはそれがとても得意なようだ。 古来より未来へつづく道づくり そう大書され、立切遺跡、矢止石、日本一の大ソテツ、ロケットなどのイラストが描かれている。そしてその真ん中を道路が一本。道路工事をアピールする行政と施工業者が建てた看板だ。 この道はほんとうに未来に続いているのだろうか。もし続いているとしたら、それはだれの未来なのだろうか。大切にしてきた耕地を削って道路をひろげる。大勢のひとを幸せにする道路ならいいのにと思ってしまった。 焼酎の蔵元があった。新築の倉に、引き戸だけは古い。取り壊した古い倉から引き戸だけをはずし、もってきたんだ。すべてを新しくしたのでは味がないと考えたのだろう。 道路の真ん中で大きな猫がはねられて倒れていた。いずれ保健所か清掃係かが始末しにくるのだろうが、それまでに何度もタイヤに踏まれ、ぺしゃんこになるにちがいない。ぼくは彼の骸を道路の端っこまで引きずっていった。道路にひとが倒れていたらもちろん大騒ぎになる(はずだ)。が、それが猫なら、ゴミだ。汚がり、気持ち悪がるひとはいるが、手を合わせるひとはまれだ。ぼくはしばらく彼の骸をじっと見ていた。 熱き心で学べ 中学校だ。種子島にかぎらず、鹿児島は教育熱心なところだ。学校や、学校のまわりには、いろんな標語が掲げられている。 子どもたちが信じられないんだな、と思ってしまう。子どもだってがんばっているのに、その上がんばれがんばれと追い立てられたらどうなるだろう。 「うるさいっ! 言われなくてもがんばってるよ」 そんなふうに言ってみたくならないだろうか。大人は、子どもたちがちゃんと(大人の思いどおりに)育つように、いっしょうけんめい道を敷いているんだろう。だが、そんな道、子どもたちはほんとうに歩きたいと思っているのだろうか。 毎日この石碑の前を通る子どもたちは、この碑文をどんな思いで眺めているのだろう。
「種子島へ 拒めない海」2000年6月刊 再海社 |
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