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(2)夏ぬ音僕が今年、沖縄本島でセミの鳴き声を聴いたのは4月上旬のことだった。北部ヤンバルの海辺。道路を覆うように枝を伸ばした広葉樹の葉陰に車を停め、潮風を胸いっぱいに吸い込みながら、運転に疲れた体を休めていた。沖縄には、幹線道路などの整備後、残ってしまった古い曲がり道が海岸に突き出すかたちで結構あるので、ドライブ途中の休憩に便利だ。涼しい日陰を提供してくれる樹木が豊富なのもありがたい。 ふと耳を澄ますと、遠い山の向こうから、セミの声が風に乗って聴こえてきた。今年の鳴きデビュー間もないためだろうか、まだ仲間の大部分は土の中にいるためなのか、その鳴き声はまだ弱々しく途切れ途切れだった。種類も小型のニイニイゼミたちだ。 それにしても、本土の感覚からすると沖縄のセミの初鳴きは早い。僕が前に住んでいた九州の鹿児島でセミの声を聴いたのは、早くても7月中旬の梅雨明けごろだった。沖縄では、6月上旬に梅雨が明けると、4月に聴いたニイニイゼミと比べ、声も大きさもケタ違いのクマゼミたちが長い土中の眠りから覚め、本格的な夏到来を告げる大合唱を始める。 この大合唱がまた半端じゃないのだ。僕は通常、目覚まし時計を朝6時40分にセットする。しかし、それより以前、空が白み始める5時ごろに彼らは既に熱唱を始める。その絞り出すような声の大音響で、僕はいやおうなしに目覚めることになる。沖縄の友人に聞いたら、夏は結構セミの目覚まし時計で早起きさせられ、寝不足の人がいるみたいだ。 クマゼミは日本の関東以西に広く分布する大型のセミ。体長は羽の長さも含め最大で7センチ近くまで達する。オスを捕まえて、ひっくり返し、腹部のオレンジ色の「発音器」を観察すると、同じく大型のアブラゼミよりも大きいような気がする。鳴き声も油の効いていない滑車が耳もとで滑るように「シャーシャー」とけたたましい。しかも困った習性で、これらが数十匹の群れをなして樹液にたかるものだから、ド迫力のサラウンド効果を生み出すのだ。 |
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僕の自宅から歩いて15分ほどの所に「嘉数(かかず)高台公園」がある。ここの展望台からは、米軍の普天間飛行場がよく見える。テレビのニュース映像などで同飛行場が映るときは、たいていここで収録されている。展望台をかすめ、真下の住宅地に突っ込むかのように、米軍機が執拗にタッチ・アンド・ゴーを繰り返す。修学旅行などで平和学習の場としても利用されている。 同高台は第2次大戦時は日本軍の要衝で、ここで米軍との激戦が繰り広げられた。1945年4月1日に無血上陸した米軍が、日本軍守備隊の本格的な反撃を初めて受けた場所。16日間に及んだ攻防戦で日米双方に膨大な死傷者が出た。嘉数地区の人々はこの戦闘に巻き込まれ、全住民の半数以上が痛ましい犠牲となった。日本軍のトーチカ跡が、当時の激戦を物語る無数の弾痕そのままに残されている。また、ここで戦った日本軍の第62師団には多くの京都出身者がいたため「京都の塔」が建立され、慰霊に訪れる人が絶えない。 ここの公園の樹は樹液がよく出るのか、たくさんのクマゼミがかなりの密度で張り付いている。望遠レンズを使って撮影するのだが、人の気配を察しておしっこを飛ばしながら八方に散って行くので、写真に収めるには根気がいる。かつて、季節ネタでこのシーンを撮影しようと、地元新聞のカメラマンが偽装工作をしたことが明るみになり、全国報道された。セミの死骸を接着剤で幹に貼り付け、撮影したことが読者の指摘でばれたのだ。 自然のものはそれ自身が放つ輝きのようなものを持っている。造花を撮影したところで、花の生命力や、かぐわしく香ってきそうな存在感までは写し取れない。自然の撮影は、ありのままを撮らなければ意味がない。 7-8年と言われる長い期間を地中で暮らし、地面に這い出、羽化してほんの1週間ほどのセミの命。同じようにこれからが青春、あるいは人生の本番というとき戦場にかり出され、または戦闘に巻き込まれ、失われてしまった人々の尊い命。セミたちがしぼり出す沖縄の夏のサウンドは、平和と生命の大切さを僕に思い起こさせる。立秋を過ぎたあたりから、そのセミたちの大合唱もぴたりと止んだ。 |
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