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(3)道じゅねーどこからともなく三線の音が聞こえてくる。泡盛を傾けながら、今宵もだれかがほろ酔い気分で島唄を唄っている。沖縄のスージぐゎー(路地)にたたずんでいると風にのって耳に心地いい響きが伝わってくる。 夏のある晩のこと。沖縄のロックバンド「紫」のショーを観ようと沖縄市のライブハウス目指して車を走らせた。「7th Heaven」という店だった。「行けばわかるだろう」と地図で確かめもしないままに。 「紫」はキーボーディスト、ジョージ紫氏率いるバンド。1970年代に若者に支持された音楽雑誌「ミュージックライフ」で、並みいる本土のアーティストたちを抑え、ファン投票1位を獲得するなど人気があった。現在は息子のレイ、レオンらをメンバーに再び「紫」の名を掲げ、往年のパワーを復活させつつある。 さて、ライブハウスまでは確かに辿り着けたつもりだった。ところが、店のドアには鍵がかかっていた。看板も店内の灯りもこうこうとはしていない。人の気配だけは感じるが、ライブの活気がまったく感じられない。重低音の響きも伝わらない。 新聞で確かめた開演時間はとっくに過ぎていた。ドアをノックしても反応がない。そこで店に携帯電話をかけてみてわかった。僕は同名のまったく別の店の前をうろうろしていたのだ。道理で静かなわけだ。そこからライブをやっている店までは車で10分ほど。ライブ途中の入場になってしまう。行こうか行くまいか迷っている矢先、民家の庭先から流れて来た三線の音がやんわりと僕の耳をとらえた。 時々、とちっては弾きなおす。唄も調子っ外れなところがあり、明らかに素人の演奏だった。けれど、何故だか懐かしく、心地いい。きっと昼間、陽に照られながら過酷な労働を終えたおっちゃんが、泡盛をちびちびやりながら、三線を抱き、赤ら顔で奏でているんだろうななどと空想を楽しんだ。 結局その晩のロックコンサートには行かなかった。エンジンの熱がまだ温い車のボンネットに仰向けになった。蚊が刺した手足がかゆかったが、おっちゃんのワンマン島唄ショーに一人付き合った。うちなーんちゅの生活のにおいがした。柔らかな空気が僕を包んでくれた。夜空に星がまたたいていて、そのまま眠ってしまいそうになった。 ところで、スージぐゎーに響く三線と島唄、そして勇壮な太鼓の音色といえば沖縄の伝統芸能エイサーの「道じゅねー」が有名だ。毎年旧盆の頃、主に青年会によって古くから受け継がれ、鍛え抜かれたエイサーの技が集落の路地のあちこちではじける。 エイサーは沖縄の夏の風物詩。お盆の3日間、道じゅねーの熱気が集落中にあふれる。ぴったりと息の合った地方(じかた)の演奏や唄に合わせて、勇壮な太鼓や華麗な手踊りを、路地から路地へ練り歩きながら繰り広げる。「エイサー、エイサー、スリサーサー」。そろいの浴衣姿の女性陣の間の手が夜空に透き通るトーンでこだまする。僕はこの間の手が好きだ。何だか心が励まされ、元気をもらったような気になる。 エイサーのお披露目は8月下旬から9月上旬にかけてのことが多い。けれど、6月には練習が既に始まっていて、各集落の公民館からは唄や三線、太鼓の音色が夜遅くまで聞こえてくる。僕のアパートにも丘の上の公民館からほぼ毎夜、聞こえていた。 エイサー参加の中心メンバーは高校生から29歳までの青年会員。エイサーに参加できることは若者にとって光栄なことらしい。ある青年は「沖縄ではSMAPよりもエイサーの青年の方が人気があるよ」と言っていた。その言葉通り、カラフルな装束に身を包み、エイサーをしに急ぐ彼に数人の子どもが駆け寄り「がんばってねー!」と声をかけていた。昨今、本土でもイベントへの参加や学校の授業にエイサーが取り入れられるなど人気で、道じゅねーにはお目当ての青年の追っかけ女性ファンも見受けられるほどだ。 僕は沖縄市園田青年会のエイサーに同行して、道じゅねーの写真を撮らせてもらった。厳しく、かつ楽しい練習風景も撮影した。園田のエイサーは沖縄の数ある青年エイサーの中でも別格だ。ダイナミックかつ繊細な演舞は定評がある。2000年大みそかにはNHKの紅白歌合戦にもゲスト出演した。 満月の明かりに照らされて、夜空に突き上げた旗頭を先頭にスージぐゎーをエイサー隊が練り歩く。ラッパ型のスピーカーを積んだリヤカーからは、地方たちの三線と歌声が朗々と響く。伝統的な民謡に合わせてエイサー隊の力強い太鼓がうなる。バチが折れんばかりに打ち鳴らされ、汗がほとばしる。空手の型を取り入れたたくましい男踊り、そして優雅な女踊りが太鼓の後に続く。チョンダラー(京太郎)と呼ばれる顔を白塗りし、京劇のようなメイクを施した道化役が、指笛を鳴らし、囃子を入れながら、さりげなく隊列を引き締める。
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