南ぬ風(ふぇーぬかじ)
 
  (4)けんか綱

「ものすごい綱引きがあるから一緒に行かないか?」。友人のミュージシャン・比嘉光龍(ひが・ばいろん)の誘いで、「けんか綱」として有名な南風原町喜屋武の綱引きを観に行った。

「はっさ、綱引く前にいきなりたっくるし(激しいもみあい)始めたからさすがに俺もびっくりしたさー」。会場に向かう車の中で光龍が昨年観た綱引きの印象を興奮気味に語った。

光龍は僕と同じくアメリカ人の血が流れている。外観はアメリカー(西洋人)そのもの。けれど、近代化と同化政策に飲み込まれ失われつつある沖縄の文化と精神に対する思い入れはとても深い。それは、おそらく現代のうちなーんちゅのだれにも負けないくらいのものだ。着物に身を包み、三線をかき鳴らし、張りのあるのびやかな声で唄う。ステージではうちなー口(沖縄古来の言葉)しか使わない。彼の舞台での演目は古典民謡が主。けれど、CDを聴けばわかるが、三線と自分の声のみで多重録音して作り上げた彼独特の音楽表現は豊かで、趣きが深い。光龍についてはまた別の機会に詳しくふれたい。

さて、綱引きが行なわれた南風原町喜屋武は、沖縄本島南部に位置する人口千人あまりの集落。伝統の綱引きは毎年旧暦6月25、26日に催される。集落を門中(沖縄本島及び周辺で見られる父系の親族組織)でイリ(西)とアガリ(東)に分け、対抗戦を行なう。

夜も更けて午後11時過ぎ。集落内の広場に駐車し、外に出ると銅鑼の音が遠くに高らかと鳴り響いていた。カラーとモノクロのフイルムをそれぞれ入れたカメラを肩に、わくわく胸躍らせながら会場へと向かった。

だいたいこんな遅い時間に始まる行事からして珍しい。沖縄では南部を中心に綱引きが盛んだが、たいてい昼間か夜の早い時間に催される。綱引きが行われる集落中心部の路地は、既に集まった見物人の熱気であふれかえっていた。西の綱は公園前の平坦地に寝かされ、東の綱が狭くカーブした坂の上から現れるのを待っていた。

綱は、東西の地の利に合わせて引くため、独特の形状をしている。西の雌綱は、直線距離が短かく、広い平坦な道で引く。そのため、太くて短い。短い綱を広がって引くので2メートルほどの太い手綱がついているのが特徴。対する東の雄綱は、距離が長く、道幅の狭い坂道で引くので細長い作りになっている。東が有利になるためには、これを肩にかついで引く。けれど、勝負が始まると、西が引く強烈な力で肩からずり落ちてしまうので、その後も続けられるよう50センチほどのひもが付いている。

初日に2回勝負し、2日目にさらに1回まみえる計3本勝負。景気付けの銅鑼が打ち鳴らされ、祭り気分が最高潮に達したとき、たいまつを先頭に東の綱が姿を現わした。

雌雄の綱が合わされ、対戦が始まる前の儀式として、まず子どもから大人までの代表が棒術で手合わせし、気合いを入れ、雰囲気を盛り上げる。そして、いよいよ青年たちによる「オーエー(喧嘩、格闘を意味)」が始まった。

東西の若者が入り乱れ、肉弾相打つ。高々と飛び上がり、激しい形相でぶつかり合う。双方本気であることが「ボコッ」という肉体の発する鈍い音でわかった。しかし、決して拳で相手を殴ることはしない。生身の人間の身体が激しく衝突する音を耳にするのは、中学時代にプロレスをリングサイドで観て以来だった。

たかが綱引きにここまで対抗心をむき出しにすることが不思議だった。でも、後で隣り合わせた地元の中年男性に理由を聞いて納得した。

何でも、綱引き行事の3週間前に東西共同で綱の材料のわらを買いに行くそうだ。このときはそれほどでもないのだが、2週間前から東西別々の場所に分かれ、集落民総出で綱作りの作業が始まると、互いの対抗心がむきだしになりだすという。綱作りの作業を通じて、東西それぞれに団結心を高め、闘争心を維持する。それが本番で一気に炸裂するというわけだ。

綱引きは、雌綱と雄綱の合わせ方で東西の有利さが全然違うため、この駆け引きでは最も白熱する。勝負を有利に展開するため、綱の前方にいる青年たちは、互いに邪魔し合い、相手を突き飛ばしたり、蹴ったりの激しい攻防を繰り広げる。Tシャツはぼろぼろに引き裂かれ、知らず知らずに流血する者もいる。しかし、拳で殴らないという暗黙のルールがあり、また危険な行為に及んだら周囲の壮年らが割って入るため、迫力の割に毎年、ひどいけが人が出ることはないらしい。

行事に対して皆が徹底的なだけのことである。ふだんは平和でのんびりとした集落である。乱暴な側面もあるが、行事はむしろ住民が肝胆相照らすための通過儀礼としてしっかりと地域に根ざしていると言っていい。激しい乱闘を展開する青年たちも、決して行事を相手に対する憎しみや恨みのはけ口としているわけではない。ただチームの「勝利」のため全力を尽くしているだけなのだ。

乱闘の中に割り込んで撮影しようとして、僕も突き飛ばされたり、体当たりを食らったりした。見物の群集も東西の加勢に駆り出され、「サーイ!」のかけ声とともに必死で綱を引いていた。外国人も交じって共に汗だくになりながら行事を盛り上げていた。勝負が決した後は、東西の住民が互いに泡盛を酌み交わし、労をねぎらい合っていた。

大阪・岸和田市の「だんじり祭」に代表されるように、本土にも一見激しく、乱暴な祭がいくつか存在する。海外にも似たような祭は多く見受けられる。人間は内部に暴力的な一面を潜在させていることは否定できない。それを古くから「祭」という形で噴出させ、心のバランスを保ってきた。これら「祭」の中で見受けられるバイオレンスは、文化という枠の中で人間に対して肯定的に作用している。他国民の生活や文化を理解も研究もしないで、ただ単に「悪」と決めつけ、まなじり決して爆弾をばらまき、無差別な殺りく行為を繰り返そうとするどこかの国の大統領の「野蛮さ」とは異質のもののように思えるのだが…。

 
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