南ぬ風(ふぇーぬかじ)
 
  (5)沖縄の問題と私

日本全体の米軍基地・施設が75パーセントも集中する沖縄には、私のように米国人の血を引く人たちが約4500人いるといわれる。米軍が長年駐留する韓国にもやはり同じ境遇の人たちが暮らしていると聞く。

米軍人、軍属の父親に残された子どもたちの多くは父側から養育費が得られない。生まれた土地の人間として地域の言葉や習慣を得ながら成長する。そして、外観は西洋人だが言葉や立ち居振る舞いは地元民というアンバランスが生じる。そのことが原因で集団によるいじめやからかい、時には偏見をもとに暴行など迫害を受けたりする。また、米軍人、軍属がらみの事件・事故が多発すると、関係のない当事者が偏見のとばっちりを受ける。学校では無理解な教師の対応のまずさがいじめを助長する。沖縄、韓国では行き場のない当事者を受け入れるための民間学校ができたほどだ。

人がどのような境遇に生まれようと、その人自身に何も責任はない。あらぬ責任を負わせようとする社会の方がむしろ病んでいるのではなかろうか。学校さえもその病理にむしばまれているような気がする。

人間が持つ「民族」という根源的な所属の欲求を満たされないまま育つ私たちは、しばしば「自分は何者であるか?」という自己同一性の危機に見舞われる。唄・三線(さんしん)奏者の比嘉光龍(ひが・ばいろん)にもその危機は訪れた。

沖縄人の養父母に育てられ、英語を話せる環境にいなかった彼は20代で渡米し、必死で努力して英語を修得した。しかし、人種差別など米国の暗部を目の当たりにした彼は「自分は米国人ではない」という結論を導き出す。そして、生まれ島・沖縄で伝統楽器の三線と出会い「沖縄人」としての自分に誇りと希望を見い出していく。

沖縄の三線にこだわり、柔軟な発想でこの楽器の可能性を広げた彼独自の音楽性。沖縄発のワールドミュージックは今後、注目されるだろう。また本土との同化教育などで絶滅の危機にある古来の「うちなーぐち(沖縄語)」保存と復活に彼は精魂を傾ける。将来は「うちなーぐち」の学校、放送局を造り、沖縄の「たましい」を蘇らせたいと考える。老若男女を問わず賛同者も増え、夢は広がる。

かつて私も「自分は何者?」という心の叫びに揺れた。結果として自分の生まれ島に移り住んで写真を撮り始めた。最近では自分の体の中を流れる「血」に「自由」を感じる。固定された民族性に縛られない、私は自由な存在。比嘉光龍や私と同じ境遇の人々の中に自分の人生を重ね、希望の光を探しながら…。

 
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