南ぬ風(ふぇーぬかじ)
 
  (13)人に成る

たまたま那覇市の繁華街を通りかかったら、何やら人だかり。機動隊のバスや警察車両も数台止まっていた。県庁前広場に新成人が集まり、ばか騒ぎをしていたのだった。

那覇市の成人式はガラが悪いのでつとに有名だ。一昨年、那覇市民会館で開かれた式典では、会場前で新成人が車両のガラスを割るなど羽目を外し、逮捕者も出た。その反省から行政主導の式典は廃止され、地区単位で実行委を組織して成人式を運営するようになった。

そのような運営方法が奏功したのか、昨年は各式場でさしたる混乱は見られなかったが、一部の新成人が道路使用許可を取らずに国際通りをパレード=B交通渋滞を引き起こすなど問題になった。今年も目立ちたくてしょうがない連中が、那覇市内でも人目につきやすい県庁前を選んで集まったわけだ。

伝統的に男は出身中学校ごとにそろいの紋付姿。女も晴れ着姿で参加する。いわゆる「ヤンキー」スタイルの若者たちの集まりで「夜露死苦」的な文字をちりばめた暴走族風の横断幕なども掲げている。中には子連れの新成人もいた。亡くなった友人の遺影を抱いている若者の姿もあった。

中学校というのがひとつのノスタルジーの源なのだと思う。日本では中学卒業を境に進学組と就職組に分かれる。集まった若者たちは一様に幼い行為の割に表情は老けているいるように思えた。おそらくほとんどが中卒で働いている子たちなんだろう。

まだ遊びたい盛り。若くして乳飲み子を抱え、生活に追われる新成人も少なくない。自分たちの同世代でも大学生はまだ堂々と子ども℃梠繧謳歌している。一連の行為は、ゆがんだかたちでの子ども≠フ主張の発露なのではないだろうか。

むじゃきにはしゃぎ、警官隊に悪態をつき、泡盛を掛け合い、艶やかな振袖姿の娘が一升瓶をあおり、イッキ飲みする。周囲では、それをはやし立てる。見ていて気持ちのいい光景ではない。周囲の「大人」たちは、しかめっ面はするが、この「子ども大人」たちの深層に宿る何かについて考えようとはしない。

いずれにせよ、どのような行為にも、その個人の責任が伴うのが社会。そういう社会の常識を超えたところで、国家の命令によって銃を取り、イラクで殺戮行為を強いられている米兵たちもまた、彼等と同じ新成人の世代がほとんどだ。

何が「常識」なのか、わからない世の中だ。「人」に成るか、「獣」に成るか。善人面した獣にだけはなりたくない。

 
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