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(14)BUS2003年8月に「沖縄都市モノレール(ゆいレール)」が開通した。ただ、運行区間は那覇空港ー首里間のみ。したがって都心部以外の住民の足は乗用車かバスが主流となる。 定時運行の軌道交通機関の開通は、車社会のため混雑傾向にある交通状況の緩和が期待されたが、さほど効果は上がっていない様子。都市部のみを運行するゆいレールを県民は概ね「あれは観光客の乗り物」と冷ややかに見ている。近くのスーパーへ行くにしても車で行く傾向がある「歩かない」県民性は変わらない。 もう一つの移動手段のバスはどうか。昔からそうであるが、県内4つのバス会社の経営は利用率の低迷で、いずれも苦しい状況にある。中には、慢性的な赤字経営で退職金の支払いができず、従業員との間でもめている会社もある。経営不振から本土大手バス会社に身売りした例もある。 本土資本の介入でサービスや利便性が向上する効果も見て取れる。なぜなら県民のバスに対するイメージは?@遅い?A荒い?B汚い?C不親切ーなどいたってマイナスである。それら負のイメージを持ったまま、県民はほかに手段がないから仕方なくバスに乗る。改善の方向は大歓迎だ。 「遅い」は、慢性的な交通渋滞のため仕方がない。バス停で乗り込むおばちゃんが「何十分も待たされた」と、乗り込むと同時に運転手にぶつぶつ文句を言う光景は日常茶飯事。運転手も慣れたもんで「はいはい」と聞き流している。 「荒い」は、昔から変わらない。沖縄のバスの歴史は1947年の公営バスの開設にさかのぼる。終戦直後、米軍から借り受けた2トン半のトラックに幌をかけ、主に工場等の労働者の運搬手段として走り始めた。敗戦から住民が次第に落ち着いてくると、島内の移動が盛んになった。利用率が高まるにつれ、バス会社も急増。1951年には14社まで増え、過当競争が激化した。 民営化された公営バスは、合併や分裂を繰り返しながら淘汰され、現在の体制に。しかし、どの会社も経営状況はおもわしくない。したがって、道路では運転手同士の乗客獲得の必死のカーチェイスが繰り広げられる。バスに乗り込むと、まだ着席していないのに急発進。運転手の目は、次の停留所での乗客獲得へ向けて血走っている。お年寄りが転倒しても平気のへいざだ。この点については、最近、本土資本が入った那覇バスは従業員教育が行き届いて、客が着席するまで発進しない。 需要が頭打ちのため、設備投資もほとんどなく、観光バス以外は老朽化した車輛が使われている。車内ははっきり言って汚い。床の上をゴキブリが這っているのを見かけたこともある。加えて小中学生の落書きの多さにはびっくりする。幼稚で卑猥な絵や文言に眉をひそめる人も少なくないだろう。落書きは増える一方で、消される様子はない。消してもたぶん、いたちごっこなのだろう。 たまに穏やかな口調で親切な運転手のバスに乗るとホッとする。無愛想でイライラしている運転手があまりにも多いからだ。 沖縄のバス会社の経営不振は傲慢経営によるところが大きいと言われる。本土資本注入による那覇バスの経営がその後、上向いたかどうかは定かでない。が、サービスや利便性向上は間違いなく顧客をつかむだろう。だれだって安全運転で落ち着きのあるバスに乗りたい。戦後初の軌道系交通機関が開業したとはいえ、バスはまだまだ大事な市民の足だ。経営者は搾取するだけでなく、運転手の待遇改善にも力を入れるべきだし、サービスその他、もっと本腰で経営努力を見せてほしい。 中、高校生が自然な物腰で老人に席を譲ったりする光景もたまに目にする。若い人たちに希望を感じるほのぼのとした気分になれるのも、また、路線バスならではの味である。 |
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